ノンフィクションならでは

前回のブログで、不要な言葉クイズの解答と解説を載せましたが、

何人かの方から、「これを削るならこの言葉も削るべきではないか」「そもそもこれは“不要な言葉”ではなく、“なくても意味が変わらない言葉”ではないのか」といったご意見をいただきました。

「解答・解説はあくまで出題者の主観」とは書いたものの、こちらが気づかなかった点のご指摘も多く、なるほど……と、とても勉強になりました。
そして、翻訳(ひいては正しい文章、ここちよい文章)は決して正解がひとつではない、ということを改めて肝に銘じました。

一方で、あのクイズで自分が気づかない不要な言葉がまだまだあることがわかった、と言ってくださる方もたくさんいました。

このブログが、翻訳者さんたちの訳文のブラッシュアップの一助となり、いい訳文とは何かを考えるきっかけになれば、幸いです!

そして現在、弊社では9月6日から始まるリベル書籍翻訳セミナー「ノンフィクション編」に向けて、特別講師の方々と打ち合わせを進めています。

ノンフィクションとひと口に言っても、国際情勢・経済問題から、金融・ビジネス、サイエンス、心理関係や自己啓発、ライフスタイル、芸術関係やスポーツ……とジャンルは幅広いです。いえ、人間の営みすべてがテーマになると言えるかもしれません。

そこで今回のセミナーでは、できるだけたくさんのジャンルを網羅するために、「フィクション編」以上に多くの出版社の編集長さん、翻訳家さん、エージェントさんにご登壇いただきます。

どの方も、ノンフィクション翻訳の世界では注目を集めていらっしゃる方ばかり。
それぞれの講師の方については、別の機会にご紹介しますが、
「ノンフィクションならでは」の面白さ、現状、今後の可能性をお話しいただき、ノンフィクション翻訳者に求められること、リーディングや翻訳時の「ノンフィクションならでは」の疑問にも、できるだけお答えいただく予定です。

たとえば、リーディングのとき。

ノンフィクションはテーマがはっきりしているので、版権を買うかどうかを判断するために類書との比較も求められる。でもリーディング中は原書を読んでまとめるのがせいいっぱいで、日本語の類書を読んでいる時間はない……。
どうする?

この作品、全体的には日本人にウケそうだけど、構成に難がある……。
その国に固有のことしか書かれていない章がある……。
そこをどう説明すべき?

そもそも、あらすじ以外の主観的感想をどこまで書いてかまわない?
……

いよいよ翻訳の依頼がきたときも。

この作品の分野はあまり詳しくない。でも興味はあるし、チャンスだとは思う……。
仕事を受けて大丈夫?

この作品は「です・ます調」のほうがいいような気がするのだけど……。
どの段階で編集者に相談すべき?

原書に事実とは違うと思われる記述が……。
勝手に直していい?

ネットで調べたらサイトによって書いてあることが違う……。
どれを信用すべき?

専門的すぎてネットで調べたぐらいではよくわからないところが……。
どうしたらいい?

英語の原書にフランス人がでてきた……。
人名の表記のしかたは英語読みでOK?

原注がたくさんある……。
原書ページごとに入れ込めばいい?

日本人にはぴんとこないものや固有名詞がでてきた……。
訳注はどんなふうに入れるべき?

図表や写真のキャプションがたくさん……。
訳文はどう処理すればいい?

お金の単位や重量・長さの単位が日本とは違う……。
日本での単位に換算して書き直すべき?

などなど……

ほかにも、アンケートや質疑応答を通して、日ごろみなさんが疑問に思っていることや悩みをどんどん伝えていただき、講師にお答えいただきます。
同じ質問でも、ジャンルによって、出版社によって、翻訳家によって違う答えが返ってくるかもしれません。
それもまた今回のセミナーの醍醐味です。

ご期待ください!

(Y)

不要な言葉 その6

不要な言葉クイズ 解答編です。

クイズの出題文は8月13日付けの「不要な言葉 その5」をご覧ください

「不要な言葉クイズ」をたくさんの方にご覧いただいたようで、緊張しながらの解答&解説です。

出題文は、これまで目にしてきた訳文のなかで気づいた不要な言葉を寄せ集め、即席でつくりました。
ですから、ストーリー展開に無理があるとか(「幼いのにナイフもってんのか?」と突っ込みたくなる方、ジョンの安否はもとより、「デパートの4階以上は何売場なのか?」などとご心配してくださる方もいらっしゃったようです(笑))、
文末によっては「過去形より現在形にしたほうがいいのでは?」とか「“のだ”はいらないのでは?」といったご意見もあると思いますが、
そのあたりは今回のクイズの対象外ということでご容赦ください。

さて、不要な言葉はいくつあったでしょうか?
正解は17カ所(+文末以外で不要な「た」が1カ所)です。
(あくまで出題者の主観であることをお断りしておきます)

出題文中の不要な言葉を太字(「た」にする必要のない箇所は下線)にしてみます。

ジョンがまだかった頃のことだ。毎週日曜になると、彼は父親に連れられて隣町の大きなデパートに行った。そのデパートの1階から3階まではいつでも大勢の人たちでにぎわっていた。ある日のこと、3階のおもちゃ売り場にいたジョンは、二人の男の子たちが遠くからずっとこちらを見続けていることに気づいた。二人とも学校の同級生だった。そのうちの一人はいつもジョンをいじめている子だ。その手にはナイフのようなものが握られている。だが、それだけではなかった。その二人はジョンめがけてこちらに突進してきたのだ。ジョンは怖くなった。でも、だからといって、どこに逃げたらいいかわからない。ジョンまでおよそ3メートルほどになったとき……

太字には、
A:あるとおかしい言葉
B:ないほうがすっきりするが、強調したい場合などにはあってもいい言葉
が含まれています。

一つ一つ簡単にコメントします。

  1. まだ(A):あるとしつこくて不自然になります。
  2. 毎週:「毎週日曜日には」という表現なら「毎週」が必要ですが、「日曜になると」には毎週の意味が含まれています。
  3. 彼は:主語の繰り返し、とくに人称代名詞が多いと翻訳調になるので、とれるものはとりましょう。
  4. その:「デパートの1階から3階は」だけで十分です。「デパート」をとって「その1階から3階は」とする、あるいは「そのデパート」をとって「1階から3階は」だけにすることもできますが、「デパートの1階から3階は」のほうが収まりがいい気がします。
  5. まで(A):不要です。
  6. たち:「大勢の人」で十分です。
  7. のこと:「ある日のこと」という言い方そのものは問題がないですが、「ある日」だけのほうが読みやすい。その前に「幼い頃のことだ」とあるので、「のこと」はなおさら不要です。
  8. たち: 「二人の男の子」で十分です。
  9. 続け(A):「ずっと」に継続の意味があるので、「続け」があると重言になります。
  10. 学校の(A):あるとしつこくて不自然になります。
  11. そのうちの:「一人は」だけのほうがすっきりします。
  12. その:「手には」だけのほうがすっきりします。
  13. だが、:「それだけではなかった」に逆接の意味が含まれているので、「だが、」はないほうがすっきりします。ただし、逆接の意味を強調したいときには「だが、」を入れてもいいでしょう。
  14. その:「二人は」だけのほうがすっきりします。
  15. こちらに(A) :「ジョンめがけて」とあるので重言になります。
  16. でも、(A) :「だからといって」にすでに逆接の意味があります。13に似ていますが、こちらのほうがより不自然です。「だからといって、」をとって、「でも、」を残しても正解です。
  17. ほど(A) :「およそ」とあるので重言になります。「およそ」をとって「ほど」を残しても正解です。
  • かった頃→幼頃のほうが自然です、原文が過去形だとつい「連体形+た」を使いたくなりますが、日本語では「た」を使わないほうが自然という例もたくさんあります。それはまた後日……

上記をすべてトルとこうなります。

ジョンが幼い頃のことだ。日曜になると、父親に連れられて隣町の大きなデパートに行った。デパートの1階から3階はいつでも大勢の人でにぎわっていた。ある日、3階のおもちゃ売り場にいたジョンは、二人の男の子が遠くからずっとこちらを見ていることに気づいた。二人とも同級生だった。一人はいつもジョンをいじめている子だ。手にナイフのようなものが握られている。それだけではなかった。二人はジョンめがけて突進してきたのだ。ジョンは怖くなった。だからといって、どこに逃げたらいいかわからない。ジョンまでおよそ3メートルになったとき……

以上、解答と解説でした。

(Y)

※誤字などを訂正をしました(2015年8月22日)

不要な言葉 その5

今回は「不要な言葉クイズ」です。

以下の文章のなかに、不要な言葉をいくつ見つけられますか?
※なくても文章の意味が変わらない言葉です。各文末(だった→だ など)と一文字削除(いつでも→いつも など)は対象としません。


ジョンがまだ幼かった頃のことだ。毎週日曜になると、彼は父親に連れられて隣町の大きなデパートに行った。そのデパートの1階から3階まではいつでも大勢の人たちでにぎわっていた。ある日のこと、3階のおもちゃ売り場にいたジョンは、二人の男の子たちが遠くからずっとこちらを見続けていることに気づいた。二人とも学校の同級生だった。そのうちの一人はいつもジョンをいじめている子だ。その手にはナイフのようなものが握られている。だが、それだけではなかった。その二人はジョンめがけてこちらに突進してきたのだ。ジョンは怖くなった。でも、だからといって、どこに逃げたらいいかわからない。ジョンまでおよそ3メートルほどになったとき……


解答&解説は8月17日のブログで!

(Y)

(追記)
「不要な言葉クイズ」のPDFを作成しました→ 不要な言葉クイズPDF
よろしければ印刷して、ゲラに赤を入れるつもりでじっくり取り組んでみてください。

 

不要な言葉 その4

書籍翻訳セミナー「フィクション編」の最後にも「不要な言葉」をたくさん紹介させていただきましたが、今回のテーマは代名詞

先日添削した課題のなかの訳文を少しアレンジしてみました。
こんなシーンです。

「どうやってこのことがわかったのですか?」
「それは、通報があったからです。そのおかげで、この家族は逃げることができました」
「その証拠はありますか?」
「この家族が送金したときの伝票を持っています。」
「そうは言っても、その金は誰のところに行ったかわからないわけですね」

読んでいると違和感ありますよね。
訳すときにこんなに代名詞だらけにはしない……とほとんどの方が思われるでしょう。
でも、課題ではこのシーンにたくさん代名詞が使われていました。
訳しているときは原文にひきずられ、こんなに代名詞だらけになっていても自分ではなかなか気づかないものなのです。

これぐらいならどうでしょう?

「どうやってわかったのですか?」
「通報があったからです。おかげで、この家族は逃げることができました」
「証拠はありますか?」
「この家族が送金したときの伝票を持っています」
「そうは言っても、その金は誰のところに行ったかわからないわけですね」

訳文のなかにこういうやりとりが出てきても、そんなに気にならないのでは?
ゲラでも赤が入らないかもしれません。

では思い切って、代名詞を全部とってみましょう。

「どうやってわかったのですか?」
「通報があったからです。おかげで、家族は逃げることができました」
「証拠はありますか?」
「家族が送金したときの伝票を持っています」
「でも、金は誰のところに行ったかわからないわけですね」

当然、この会話にいたるまでには「この家族」の話がでてくるのですから、「家族」だけでも十分通じませんか? 「その金」もしかりです。

会話にテンポをもたせたければ、もっとコンパクトにもできます。
たとえば、こんなふうに……

「どうしてわかったんです?」
「通報ですよ。おかげで、家族は逃げることができました」
「証拠は?」
「家族が送金したときの伝票があります」
「でも、結局、金の行方はわからない……」

いかがです?
ここまで来ると、セリフがとても生き生きしてきて、読んだだけで話している人の表情まで浮かんできませんか?

(Y)

翻訳者が使いたがる言葉(気になる翻訳表現 その2)

誰にでも、使いたい言葉があります。

それは、うまく使えば「文章の個性」になりますが、使い方を間違えると「文章の癖」につながります。
多用することで訳文の「癖」となってしまうのに、なぜか、じつに多くの翻訳者が共通して使いたがる言葉……。

その代表格を挙げてみましょう。

*「……つつ」「……しつつ」

 資料に目を通しつつ、昼食をとった。
 徐々に注目されつつある。

同時進行の表現をほぼ自動的に「……つつ」と訳す翻訳者がとても多いです。
間違いではないですが頻出すると疲れます。おそらく古風な表現だからでしょう。
できれば、「資料に目を通しながら……」「徐々に注目されている」にしたいです。

*「……しうる」「……し得る」
手元の訳文にこんな表現がでてきました。

 それは深刻な脅威となり得る。
 私にも果たしうる役割がある。

硬いですよね?
「……脅威となりかねない」「果たせる役割がある」のほうがずっとスムーズに読めます。
ですが、この表現、論文調でない一般の読みものの訳稿でもよくお目にかかります。

*「とある+名詞」

 その男は、とある店の前で立ち止まった。

ああ、これも使ってみたくなるんだろうなあ、と思います。
でもたいてい、訳文のなかで「とある」だけが浮いています。
「ある」だけで充分、不定冠詞を訳す必要がない場合も多いのでは?

これらの言葉は、「不要な言葉」と同じく、日本語として間違っているわけではありません。
文脈や文体に合っていて、たまに出てくるならOKです

ですが、繰り返し使っている訳稿があまりに多いのです。
違和感を覚えるのは私だけなのかしら?と心配になるほどです。
そこで、新聞社に勤め文章講座の講師をしている友人にきいてみました。
友人も私と同じ意見でした。
なぜそれぞれの言葉に違和感があるのかの分析もしてくれましたが、長くなってしまうので、ここではそこまではお伝えできません。

翻訳しながら、カッコいい気がしてついつい使ってしまう(と思われる)言葉、ほかにもいろいろあります。

そういう言葉に気づき、読み手にとってストレスのない言葉に置きかえれば、翻訳のクオリティがアップすることはいうまでもありません。

(Y)

不要な言葉 その3

これまで2回、「不要な言葉」について書いてきましたが、
もちろん、「非常に」や「とても」といった言葉がどんなときにも不要だ、と言っているわけではありません。

強調する言葉は、タイミングよく使えば効果的です。

メールや手紙であれば、「あの作品は素敵でした」と書くより「あの作品はとても素敵でした」と書いたほうが思いがよく伝わります。

ですが、一冊の書籍の中で何度も何度も出てきたら逆効果になるだけでなく、いかにも直訳調のぎこちない文章の一因となります。

たまに使えば効果的だが頻繁に出てくると読者が疲れてしまう例は、ほかにもたくさんあります。

たとえば、「……してしまう」という表現。

驚くほど多くの翻訳者さんの原稿で、この「してしまう」「してしまった」が多用されています。
どうやら、ネガティブな文脈だと「……した」でいいところを、どうしても「……してしまった」と書きたくなるようなのです。

こんな具合に……

 話し合いは不毛な議論に終始してしまい、結局、なんの成果も得られないものになってしまった。

はい、いうまでもなく、

 話し合いは不毛な議論に終始し、結局、なんの成果も得られないものになった。

のほうが、ずっと読みやすいですよね。

さらにいえば、

 話し合いは不毛な議論に終始し、結局、なんの成果も得られなかった。

これがいちばんすっきりしていると思います。

「・・・もの」という言い方も、翻訳初心者がよく使い、まどろっこしい表現の原因となる代表選手です。その話はまた別の機会に……

みなさんは、こういう表現を使いすぎてしまっていませんか?

(Y)

不要な言葉 その2

翻訳における「不要な言葉」の定番の一つに、「…達」「…たち」という複数形の表現があります。

ご存じのように、英語や仏語では複数名詞に「s」が付きます。
訳すとき、これをいちいち「…たち」って複数にしたくなっちゃうんですよねえ。

 その村では、大人も子どももみんな早起きだった。

これでいいのに、原文に引きずられ

 その村では、大人たちも子どもたちもみんな早起きだった。

としたくなる。

以前チェックした訳文に、「友達たち」って言葉がでてきて唖然としたこともあります。その翻訳者さんは、「友達」は単数でも使うから、どうしても複数感を出したかったのでしょう。それにしても……。

いや、私はそんなことはしない、「…たち」は使いすぎないようにしている、という方、では、これはどうでしょうか?

 大勢の人々が見守るなか、三人の子どもたちがダンスを始めた。

そう、お気づきですよね。

 大勢の人が見守るなか、三人の子どもがダンスを始めた。

これでOK。むしろ、このほうが読みやすくありませんか?

書籍翻訳家としてまだ駆け出しだったころ、児童書のベテラン編集者さんに「すでに複数を表わす言葉がついているのですから『…たち』は不要です!」と赤を入れられ、はっとしました。その編集者さんには、ほかにも私の訳文のなかの「不要な言葉」をいくつも指摘していただき、それはそれは勉強になりました。

ですが、そんなふうに指摘や説明をしてくれる編集者はなかなかいません。
たとえ、編集者が訳稿の「たち」を削除してゲラではすっきりした文章になっていても、翻訳者はなかなか気づかないのではないでしょうか。

今回の翻訳セミナーでは(おそらく最終回に)、自分ではなかなか気づけない「不要な言葉」の例もたくさん挙げたいと思っています。

ところで、今回のセミナーについて、地方在住の方から「希望の回だけの参加はできませんか?」というご質問をたくさんいただいています。
検討いたしましたが、今回は8回を通して受講していただくことを前提に申し込みを受け付けているので、残念ながらご希望に添えません。
近い将来、1回だけの講演やセミナーも企画する予定ですので、ご理解いただければ幸いです!

(Y)

不要な言葉(気になる翻訳表現 その1)

先ほどチェックしていた訳文にこんな表現がありました。

 会ったのはほんの数回だけだった。(A)

ん? この文章に何か問題が?
ええ、ないとはいえません。できればこう直したいところです。

 会ったのはほんの数回だった。(B)
 会ったのは数回だけだった。(C)
 会ったのは数回だった。(D)

どうですか?
(B)または(C)で十分、というより、(A)よりすっきりして意味もまったく同じですよね。
「ほんの」と「だけ」を重ねる必要はありません。
むしろ、どちらかのほうが「それしか会っていない」という意図がすっと伝わりまませんか?
あるいは、文脈によっては(D)でもいいぐらいです。

訳文をチェックしていると、こうした「くどい表現」が非常に頻繁に目につきます。

そうです! この「非常に」も不要である場合が多いです。

訳文をチェックしていると、こうした「くどい表現」が頻繁に目につきます。

このほうがいいと思いませんか?
「非常に」や「とても」に当たる語(=英語のvery、仏語ではtrès など)は、西洋言語の原文ではたくさん出てきます。

ですが、それをいちいち「非常に」と訳していると「いかにもこなれてないなあ」という感じがすると、編集者さんたちもよくおっしゃいます。
実際、先ほどの例文と同じで「非常に」を入れないほうがその形容詞や副詞が際立つことが多いのです。

これまで形容詞や副詞を強調する言葉を原文に忠実に「とても」と訳していたとしたら、一度、思い切ってとってみてください!
(Y)