コロナ終息に向けて:各国レポート(21)バングラデシュ

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コロナ、さらに猛威を振るうか?

大橋正明

大国インドとビルマ(Myanmar)に挟まれた、ガンジス川の河口デルタに位置するバングラデシュは、日本の四割程度の国土面積に人口は1.6億人。都市国家を除くと世界でもっとも人口密度が高い国だ。ここ10年間以上、中近東や東南アジアなどへの出稼ぎ労働者の送金と中国に次ぐ規模の縫製品の製造・輸出で、年率5%以上という順調な経済成長を続けてきたが、まだ低所得国だ。首都などの大都市には輸出業などで儲けた富裕層は一定数いるが、民衆の多くは、都市のスラムか農村部で暮らしている。

ところが今般の世界的な新型コロナ感染症の流行で、この国の経済には急速に黒雲がさしかかっている。というのは、出稼ぎ労働者の大半が職と収入を失い、海外送金が止まったからだ。さらに悪いことに、こうした労働者たちは、狭い部屋に集団で暮らしていたので、その多くが新型コロナ感染症に感染して帰国便を待っている状態だ。こうした人たちが順次帰国する際には、政府が2週間の隔離を行うべきなのだが、それだけの力はない。おそらく政府は、彼らの大半をそのまま帰宅させて自宅待機を求めるだろうが、家族との隔離も不充分なため、この伝染病が全国に拡散されることになる。さらに世界的不景気で輸出も振るわず、縫製業で働く400万人の労働者の四分の一が職を失ったと言われている。つまり、この国の経済を支えていた海外送金と輸出という二本の大黒柱が傾いているのだ。

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バングラデシュで最初に感染が確認されたのは、3月7日。その日にイタリアから帰国した3人が感染源だった。その後、感染の目立った拡大は見られなかったが、4月に入ってから急激に感染者数が増えていった。5月29日には、一日当たりの感染者数が初めて2,000人を超して2,029人となり、累計感染者数は40,321人。しかし、死者数は559人と際立って少なく、死亡率は1.4%なので日本の三分の一程度だ。

この低い死亡率は、南アジア諸国に共通しており、同時期にバングラデシュやパキスタンより医療体制が整っているインドの死亡率は2.84%、パキスタンは1.92%である。この低率の理由は、医療や統計の体制が不充分で感染者のその後の消息を追えないからなのか、彼/彼女たちのDNAに秘密があるのか、それとも死亡率削減効果があるといわれるBCGを含めた予防接種が行き届いているのか、それらが混在しているのか、現段階では不明である。

バングラデシュ政府は、特別休日という形で3月26日以降ロックダウンを始めたが、5月末のイ―ド(イスラム教のお祭り)明けの5月31日からは、学校を除いたすべてのオフィスを再開させる。なお、同国にとって生命線の縫製業の多くの工場は、5月の初めからすでに操業を開始している。

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今回のロックダウンや景気後退の影響を受けた貧しい500万世帯(全世帯の14%程度)の救済ために、バングラデシュ政府は5月上旬、2,500タカを携帯電話を通じて支給する、と表明した。2,500タカは日本円でいうと約3,300円。日雇い労働者の4〜5日分の日当、米なら40キロほどに相当するので、十分とはいえないものの、これで一息はつける。しかしその後、この対象に選ばれた世帯は富裕層だとか、同一の携帯番号から多くの申請がされている、といった指摘が相次いでいる。また対象世帯をもっと増やすべき、という声もある。

もう一つの大きな不安は、バングラデシュ南部のキャンプに暮らす約100万人いるロヒンギャ難民への新型コロナ感染症の流行だ。この人たちはミャンマーで国民扱いされていなかったため、予防接種を受けていないだけでなく、人口密度が異様に高い三密状態のキャンプに閉じ込められている。キャンプや周辺の医療体制も極めて貧弱だ。今後、ここで流行したら大参事になるのではないかと心配されている。

難民キャンプの様子

難民キャンプの様子


大橋正明(おおはし・まさあき):聖心女子大学教授、聖心女子大学グローバル共生研究所所長、シャプラニール監事、日本バングラデシュ協会会長 

コロナ終息に向けて:各国レポート(20)アイルランド

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潔さがかっこいいアイルランド人

石川麻衣

のんびりとした国民性で有名なアイルランド人だが、時々とてつもない潔さを発揮することがある。あまり知られていないが、アイルランドは世界で初めて屋内の喫煙を全面禁止し、プラスチック袋への課税をいち早く導入し、世界で初めて国民投票で同性愛婚を合法化した国でもある(ちなみに現首相は同性愛者であることを公言している)。いわゆる「正しいこと」に対してはまったく躊躇がない。

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確か、3月の中旬手前あたりからセントパトリックデー関連のイベントを含め、催し物がすべて、あれよあれよという間に一つ残らず中止になった。中止の仕方も非常にあっさりしていて、「それでは、また会う日まで。ビー・セイフ!」と実にドライ。コロナ感染による死亡者が一人出たかな……くらいの時期だったので、そこまでする必要があるのかと当時は思ったものの、この対応でよかったのだと今は思う。それでも、アイルランドでは老人ホームなどでのクラスターが目立ち、なかなか感染の勢いに歯止めがかからなかった。あれから2か月以上経ち、ついに5月25日には初めて死者がゼロに。5月中旬から8月中旬まで4段階くらいに分けてゆっくりと規制が解除されていく予定だが、今度は逆に他国と比べてあまりに慎重なので不満の声もある。レストランや美容院は7月に再開予定だが、私のパートナーもいよいよ髪の毛がライオン風になりかけているので、どうにかしなければならない。

今はだいぶ緩んだように思うが、以前は道行く人々の表情がかなりこわばっていた。道端ですれ違うたびに道脇の塀に忍者のように張り付く人もいたし、青少年の非行も目立った。こちらの青少年たちは、よくも悪くも爆発的なエネルギーを放つ子が多く、日頃からハラハラさせられるのだが、そこに外に出られないストレスが加わったのか、彼らの悪ふざけがさらに目立つようになった。また、街の中心へ行くと、少し前は移民系の人しか出歩いておらず、異国の言葉ばかりが耳に飛び込んできた。

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カトリック教徒の影響が色濃く残るこの国ならではの助け合いの精神も、至るところで見受けられた。近所の小さなコンビニのお兄ちゃんが「何か困っていることはないか」とわざわざ一軒一軒回ってきたかと思えば、ご近所きっての世話好きの方が「距離を保ちながらの路上パーティー」なるものを開催し、近所に住む人全員の連絡先をメモして、チャットグループまで作ってしまった。隣に住む男性は、引きこもりなのではないかと心配するほど無口で人と接しない方だったが、なぜかこれを機に他人に心を開くようになり、今は別人のように誰よりも路上パーティーを楽しみにしている。以来、近所の雰囲気が一変した。

アイルランドには、もともとたくさんの渡り鳥が訪れる。街が静かになったせいか、庭に鳥が訪れる頻度がさらに増えた。ミソサザイ、コマドリ、アオガラ、カササギ……。明らかに、鳥の鳴き声が響き渡るようになり、特に朝と夕方は聞きほれてしまうほどである。愛嬌のある小鳥たちに思わず名前を付けてしまう人もいて、新聞には「庭を訪れる鳥たち」という特集も組まれた。これを機に園芸も盛んになったが、園芸店に注文が殺到し、発送が追いつかず、店のウェブサイトの停止が相次いだほどだ。

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この危機で仕事を失った人、または仕事が激減した人などに向けた補償金はネット上ですぐに申請でき、その数日後には振り込まれる。個人事業主も、留学中の学生なども対象となる。こちらでは、俳優が仕事が入らない時期について政府から失業手当を受けるのは稀なことではない。今回の手当てはいつもの額よりも高く(週に350€)、普段から手当を受け取っていたある俳優さんは思いがけないボーナスに驚いていた。しかし、これでは労働意欲を奪うのではという意見もあり、先日、ラジオのコメンテーターはかなり辛口のコメントをしていた。

封鎖後すぐに、国立劇場アベイ座がアイルランドを代表する50名の作家にモノローグの執筆を依頼した。これがまた潔かった。作家たちは2週間で作品を書き上げ、50名の俳優がそれぞれカメラの前で演じ、5月の頭には数日間にわたってその動画が配信された。テーマは一律「封鎖」であったが、その視点は千差万別で、詩、エッセイ、散文、手紙、身体表現、感情の吐露など、様々な角度から人々の「今」の想いが解き放たれた。とても見応えがあり、まさに作家の執筆力が試された企画であった。

8月中旬には劇場が再開する予定である。自粛のことを、こちらでは「コクーニング(Cocooning)」と呼んでいるが、蚕は繭の中にこもり、一度「無」になってから飛び立つという。これを機に、さらに素晴らしい作品が世に羽ばたくのを、ひそかに楽しみにしている。


石川麻衣(いしかわ・まい):通訳、英日翻訳家(主に演劇、芸術関係)、ナレーター。国際演劇協会会員。アイルランド・ダブリン在住

コロナ終息に向けて:各国レポート(19)マレーシア

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厳しい規制と取り締まりで危機を乗り越える

橋本ひろみ

マレーシアでコロナの問題が深刻化したのは、3月初旬に集団感染が発生したのがきっかけでした。その後、政府はその深刻さを受け止め、3月18日に、2週間のロックダウンの措置を講じ、全ての活動が中止されました。

しかし、この時はまだ、休み気分で家族とともに帰省する人も多くいました。それに危機感を覚えた政府は、強硬策に出ます。まずは帰省した人々に対して、都会に帰ってくる道路を封鎖し、警察はあらゆる道路で取り締まりを行いました。また、国民に政府の措置の意図や情報を毎日公開し、理解を求めるため、「STAY AT HOME」の呼びかけや、毎日命の危険に向き合い国民のために必死で戦っている医療従事者などフロントライナーの活躍を報じたりするなど、国民の理解を求める努力もしていきました。

2週間のロックダウンが延長され、国民の移動はもっと厳しく規制されました。スーパーや病院など生活に必須な事業を除いた全ての活動が停止され、食料の調達以外の外出も禁止されました。ジョギングや散歩も認められず、違反者は警察に連行され、罰金が課されました。

入店前に社会的距離を置いて並ぶ人の長蛇の列

入店前に社会的距離を置いて並ぶ人の長蛇の列

ロックダウンはさらに2週間延長されました。このころ、ヨーロッパ諸国が直面している医療崩壊や、感染者や死亡者の急増を受け、マレーシアでもさらに厳しい活動規制が課されました。感染者が出た場所は完全に封鎖され、食料を調達するための移動も1世帯に一人ずつしか認められず、車も一人ずつしか乗れません。スーパーなどでも体温測定、マスクの着用義務、店内への入店も一世帯一人ずつなどが実施されました。

現在は、企業活動のほとんどが再開していて、条件付き活動制限令とされています。教育関係はまだ封鎖されていますが、オンラインによる授業をしている学校も多く、これからもオンラインの需要が増えていきそうです。4度目の延長(6月9日まで)は、それまでの様子を見て、政府が判断することになっています。

現在、マレーシアではイスラム教徒の最大のイベントであるハリラヤ(ラマダン明けの大祭)を目の前に控えています。しかし、毎年ラマダン中の時期にしか見られない料理を屋台で販売するラマダンバザーも、今年は禁止されました。また例年であれば、家を開放して(オープンハウス)親戚や知人を招待する人や、帰省する人も多いのですが、今年は州をまたぐ移動が禁止されたうえに、同じ場所に同時に集まることができるのは最大20人までとされています。オープンハウス自体は禁止されていないものの、常に警察がパトロールをしている状況です。

5月22日の時点のマレーシアの感染者数は7,059人、1日の感染者数74人、退院者数5,796人(全感染者数の82.1%)、死亡者数114人(全感染者数の1.6%)で、新規の感染者数も現在の数字はほとんどが海外からの帰国者や外国人労働者で、全体的にも安定し減ってきている状況です。

実は、ロックダウンが始まる数日前に首相が代わり、マレーシアは政治的にも不安定な状況でした。でもこの厳しい政策のおかげで、さらなる感染拡大を抑えることができたと多くの人が思っています。経済も厳しい状況を迎えていますが、コロナを封じ込め、なんとか感染爆発を抑えることができたのは、マレーシア国民にとっては一つの自信につながったと思います。

これからも新しい課題に直面していくとは思いますが、マレーシアも今、新しい日常の中で、新しい未来に向けて模索しています。


橋本ひろみ(はしもと・ひろみ):翻訳者、日本語教師。クアラルンプール在住。

コロナ終息に向けて:各国レポート(18)オランダ

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「インテリジェント・ロックダウン」を経て緩和策へ

國森由美子

オランダに暮らしてかれこれ36年になります。わたしは、ライデンという人口13万弱の大学町で、オランダ語の文芸翻訳に勤しんでいます。ちなみに、オランダは日本の九州と同程度の面積、人口は約1,700万です。

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散歩コースの途中にある風車

2月下旬、オランダでは、ちょうど学校の春休み時期に、南部で毎年盛大に催されるカーニバル祭が開催されました。その頃、北イタリアではすでに新型コロナ肺炎の感染者が出ており、そのタイミングで、同地へスキー旅行などに出かけたオランダの人たちがウイルスを持ち帰ったことで、国内初の感染者が発生しました。当初は、冬期のインフルエンザとさして変わらないくらいに捉えていた国民も多く(どこでもそうみたいですね!)、感染に気づかずにカーニバルに参加していた人もいて、まず、オランダ南部で感染者が続出し、やがて感染経路も辿れなくなっていきました。

3月上旬、南部のみならず、他の地域にもじわじわと感染が拡大してきたところで、国立公衆衛生環境研究所の専門家たちと政府がしきりに注意喚起を行うようになりました。まずは、誰もができる有効手段として、石けんを用いてのまめな手洗いが動画を用いた説明とともに推奨されました。日本人としては、これは密かに喜ばしいことでした。なぜなら、それまでオランダでは、トイレの使用後でさえ、手を洗わない人たちをよく見かけたからです。しかし、指の間の隅々まで20秒ほどかけて丁寧に石けんで洗浄するという方法は、わたしも初めて知り、以来ずっと実行しています。これを機に、石けん手洗いがこの国に根づくことを心から願いたいと思います。

ただ、マスクに関してだけは、オランダの専門家がはじめから否定的な姿勢を貫いていました。わたしは特にマスク愛用者ではありませんが、ここまで認めないとは……と、あまりの頑固さに辟易しました。ところが、6月1日以降は、公共交通機関の利用時に限り着用義務、違反者は罰金95ユーロと、いきなり肯定感あふれる規定が発表され、思わず大笑い。電車やバスの車内でソーシャル・ディスタンス1.5mを確保するには無理があるというのがその理由です。

ソーシャル・ディスタンシング1.5mのサイン

ソーシャル・ディスタンシング1.5mのサイン

感染者数が恐ろしいほど激増すると、ICUのベッドや人工呼吸器、医療従事者用のマスクなど医療物資の不足についての対策が、国会第二院(日本の衆議院に当たる)で連日必死に協議されるようになりました。そして3月16日、マルク・ルッテ首相(53歳)が全国民に向けてスピーチを行い、次いで同23日には、同首相自ら名づけるところの「インテリジェント・ロックダウン」状態に突入しました。

今回のパンデミック下で、国のリーダーの裁量が云々されることも多い昨今ですが、オランダのルッテ首相は、かなり国民の信頼を得た感があります。理路整然と、かといって上からものを言うのではなく、自分の言葉で十分あまり、ただのひと言も言いよどむことなく真摯に語りかけ「この困難な時を1700万人の全国民みなで乗り越えていきましょう。一人一人の力を頼みにしています」と、スピーチをしめくくったルッテ首相の支持率は、なんと70%以上に上昇したそうです。

この「インテリジェント・ロックダウン」では、在宅テレワーク勤務などの基本ルールのほか、イベント全面禁止、博物館などの施設の閉鎖、飲食店休業(テイクアウト可)、学校閉鎖とそれに伴うオンライン授業、成人は3人以上の集団行動禁止など、それなりの不自由な縛りがありました。しばらくすると各種規制が強化され一部罰金も発生するようにもなりましたが、首相のスピーチが功を奏したのか、厳しいロックダウン状態にある他の国々のようすをニュースやネットで見ていたためか、国民の側も驚くほどよく守っていました。極力ステイホームでも、散歩程度の外出が禁じられていたわけではなかったので、適当に息抜きもできていたと思います。また、少しでも楽しく過ごす工夫を見聞きすることも少なくありませんでした。

結局約一か月半に及んだこの期間を経て、5月11日からは、小学校がオンラインから通学再開へ移行するなど、緩和策の第一段階が始まっています。

現時点2020年5月26日付の新型コロナ肺炎関連の正式な数字(※)は、以下のとおりです(オランダ国立公衆衛生環境研究所のページより。かっこ内は、前日までの累計)。

感染陽性者133(45,578)名
入院者10(11,690)名
死亡者26(5,856)名
※実際にはもっと多いだろうという注がついています。

これを見ると、第一波が収束を迎えようとしていることがわかります。

6月1日以降には、緩和策の第二段階に入ります。飲食店の営業再開、中高等学校の通学再開、博物館など文化施設の再開など、かなり幅が広がる予定です。もちろん、さまざまな対策を講じながらではありますが、ウイルスがなくならない以上、今後はすべて未知数だと思います。

駅構内のスターバックスは6月から営業再開、隣の雑貨店〈HEMA〉はずっと営業を続けている

駅構内のスターバックスは6月から営業再開、隣の雑貨店〈HEMA〉はずっと営業している

わたし自身は、自宅で翻訳仕事や家事をしながら、3月下旬からはスカイプを通じて小学生のピアノのレッスンを続けています。小学校の通学が再開してから約2週間、さらにもう2週間ほどようすを見て、対面のレッスンを再開するかどうか検討しようと思っています。

現在のオランダは、夏時間で日が長く、午後8時を過ぎても真昼のような明るさで、輝く緑や花、鳥のさえずりに満ちた過ごしやすい季節です。この美しい季節に助けられながら、とにかく一日一日を過ごしていこうと思っています。


國森由美子(くにもり・ゆみこ):オランダ語文芸翻訳者、音楽家。オランダ・ライデン在住。

コロナ終息に向けて:各国レポート(17)台湾

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SARSから学んだ台湾

メリー・ジェーン

私は映画マニアで、子供のころからよくアメリカ映画と邦画を観てきました。映画のストーリーのほとんどは、非現実で日常生活では起こり得ないことが多いですが、2011年に公開された『コンテイジョン』は、まさに、今の状況を予言するかのような作品で驚きました。コロナウイルスの感染が世界じゅうに広がっていき、総感染者数が500万人を超えているこの状況は、『コンテイジョン』で描かれたシーンにそっくりです。

私が中学3年生のころ、台湾はSARSに襲われ、多数の感染者と死者を出しました。今は当時のことをよく覚えていませんが、学校で毎日体温を測られたことは記憶にあります。また、台北市立和平医院でクラスターが起こり、多くの医師や看護師たちが病院から逃げようとする姿をテレビのニュースで見ました。当時、父と仕事をしていた日本のクライアントが、何箱ものマスクを送ってくれました。コロナ感染拡大の最中に、父は家の倉庫から当時のそのマスクを出してきましたが、綿布生地と明らかに大人に合わないサイズはまるで日本の「アベノマスク」。思わず笑ってしまいました。

SARSの経験を踏まえ、今年の旧正月の時期、つまり1月下旬のコロナウイルス感染が拡大する前に、台湾はすでに入国制限や検疫などの対策を行いはじめました。そんななか、私は友人と3人で東京に訪れたのですが、マスクと消毒液をつねに持ち歩き、日本にいるあいだずっとマスクをつけていました(黒いマスクをつけると、原宿キッズに似ていると言われました!)。そして、日本人の友達からマスクをお土産としてもらいました。「日本は大丈夫だよ!」「SARSが流行ったときは、日本では死者は出なかったよ!」とも言われました。そのときのことを振り返ると、少し悲しくなります。あのとき、もうちょっと強く、日本の友達に感染防止の考え方を押し付ければよかったなと思いました。

私の国、台湾は、コロナウイルス感染の早期段階での封じ込めに見事に成功していると言っていいでしょう。

5月22日の時点で、台湾のコロナ感染者は441人に抑えられ、1か月間以上も国内での感染者は出ていません。このまま水際対策がうまくいけば、感染の第2波も回避できるだろうと思います。今回、一人のヒーローがあらわれました。それは、中華民国衛生福利部部長である陳時中氏です。コロナ対策本部長でもある陳氏は、台湾ではヒーローのような存在になっていて、毎日、テレビや電車のなかで、陳氏が国民全員にコロナ感染拡大防止を呼びかける声が流れています。

台湾のコロナ対策は、世界からも賞賛されています。ただでさえマスクが不足しているのに「学校でからかわれるから」と言ってピンク色のマスクをしたがらない小学生のために、陳氏はピンク色のマスクをつけて国会に参加しました。これは台湾で大きなニュースとなり、共感を呼びました。もちろん、日本でも注目を浴びているIT大臣のタン氏もすごいと思いますが、陳時中部長がいなければ、台湾はこのようにコロナの感染拡大を封じ込められなかったのではないでしょうか。

現在の台湾はもう収束に向かっています。でも、電車に乗る際には必ずマスクをしないといけないし、ソーシャルディスタンスを保って感染を防ぐために、店の中では席を隔てて飛沫防止板が設置されています。私は以前はしょっちゅう駅の地下階でダンスを練習していたのですが、そこも密閉空間のために3月から利用禁止になり、いまだに解放されていません。今は全体的に少しリラックスした雰囲気ではありますが、ワクチンが開発されて導入されるまで、このような生活がしばらく続くことになるのでしょう。

Starbucks店内の様子

Starbucks店内の様子

このコロナ禍で、みなさんの日常生活には大きな影響が出ていると思います。面倒なこともたくさんあると思いますが、これからはきっといいことがあると信じて、もう少し頑張りましょう。


メリー・ジェーン:台湾在住のアプリマーケター。

コロナ終息に向けて:各国レポート(16)デンマーク

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早期ロックダウンから段階的解除へ、危機で育まれた連帯感

針貝有佳

日本で新型コロナが騒がれ始めた頃、デンマークの人びとは「アジアは大変なことになっているらしい」と、どこか他人事だった。だが、2月末に国内初の感染者が発見されると、新型コロナはいっきに「身近な恐怖」として迫ってきた。

3月上旬に大規模な集会が禁止されたかと思うと、その後、あっという間に保育園・幼稚園・学校が閉鎖され、国境が封鎖された。まだ国内で死者が出ていない初期段階での、大胆なロックダウンだった。国民が非常事態を認識したのはこの時期だ。3月中旬には必要な機能を残してほぼすべてのインドア施設が閉鎖され、大半の人が在宅ワークに切り替わり、10人を超える集会が禁止された。

このような危機のなか、デンマークを引っ張っているのは、わずか42歳の女性首相メッテ・フレデリクセンである。彼女のストレートかつ明確なメッセージは、外国人である私にもわかりやすく、子ども向け会見では、寄せられた質問に子どもに理解できる言葉で回答していた。

驚いたのは、「物流は大丈夫だから、買い占めはしないように」という首相の呼びかけに、国民が応えたことだった。世界各地での買い占めの様子を聞いていた私は、正直「そうは言っても買い占めは起こるだろう」と思っていたが、実際には、地元スーパーではパンの発酵に使うイースト菌が売り切れになったくらいで、結局、大規模な買い占めは起こらなかった。これには、デンマークの人びとは政治や他人を信頼しているのだな、と感動させられた。また、ロックダウン中、地元のスーパーでは、客と客の間にも店員と客の間にも、普段以上の心遣いと連帯感があるように感じられた。

スーパーのレジ前には2メートル間隔でテープが貼られている

スーパーのレジ前には2メートル間隔でテープが貼られている

スーパーの入口に置いてある使い捨ての手袋

スーパーの入口に置いてある使い捨ての手袋

ロックダウンのおかげで、デンマークは感染爆発を起こすことなく、3月末から4月頭にピークアウトした。現在も順調に感染者数は減少し、終息に向かっている。フレデリクセン首相の支持率はロックダウン以前に比べて飛躍的に伸び、約40%から約80%にまでアップした。初期段階でのロックダウン、企業や個人への補償のほか、真摯な態度と明確なメッセージが支持率につながったのだ。念を押すが、42歳の女性首相である。なんと頼もしいのだろう。

現在、デンマークは段階的にロックダウンを解除中だ。4月中旬に保育園・幼稚園・小学校(5年生まで)、医療機関・歯医者の通常診療や美容院などが再開し、5月中旬にはショッピングセンター・ショップ・カフェ・レストランも再開した。6月にはミュージアム・映画館・水族館・動物園などの文化施設、語学学校などの教育機関が再開し、8月以降にはすべての教育機関・フィットネス・アミューズメントパーク・ナイトクラブなども再開する予定だ。

日常生活はバタバタである。子どもが家にいると在宅ワークはかなり厳しい。ロックダウン中は夫婦が交代で仕事と育児を担っていた家庭も多かったようだ。保育施設・学校が一部再開して楽にはなったが、まだ日常に戻ったわけではない。各施設・学校・職場ごとにさまざまな条件つきの再開で、なかなか落ち着かない日々である。

それでも、コペンハーゲン郊外にある地元ロスキレを散歩すると、ゆったりとした空気が流れ、心なしか人びとは嬉しそうな表情を浮かべている。見知らぬ人でも目が合えば軽く挨拶することも多い。新型コロナによるダメージは大きいが、危機を通じて連帯感が育まれたことも、たしかな事実である。

ありがたいことに、この数か月間、天気には恵まれていた。明るい春の陽光と青空にどれだけ救われたことだろう。この危機をデンマークで迎えることになったのは、私にとってはラッキーだったのかもしれない。このまま第2波が到来することもなく、無事に終息してほしいと心から願っている。


針貝有佳(はりかい・ゆか):デンマーク語の翻訳者、ライター。デンマーク・ロスキレ在住。

コロナ終息に向けて:各国レポート(15)ポーランド

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回復へ向かいはじめたポーランドより

岩澤葵

私は2年前から、ポーランド西部の地方都市にあるヴロツワフ音楽院に留学しています。3月上旬に一時帰国しましたが、すぐにポーランドに戻りました。すでに「自粛ムード」に包まれていた日本と比べると、そのころのポーランドの街はいつもと変わらず、のんびりと穏やかな雰囲気だったように思います。

しかし一週間後、ポーランドの状況は一気に変わりました。コロナ感染拡大にともない、私の学校では、校内中に消毒液が設置され、コンサートは軒並み中止。オーケストラの演習など、大人数の授業は休講になりました。「学校は閉鎖になると思うよ。きっとすぐに」そう言ったクラスメイトの言葉どおり、すぐに学校閉鎖が発表されました。それでようやく、ポーランドも他人事ではないんだな、と実感しました。

3月13日、モラヴィエツキ首相が記者会見を開いて「感染脅威事態」を宣言し、国境閉鎖と自宅隔離措置が感染拡大予防対策として開始されました。15日の午前0時からEU加盟国間の国境審査が再開し、外国人の入国は原則禁止。鉄道や飛行機の国際線はすべて停止され、陸路はドイツとの国境のみ、それも数か所の通行にかぎられました。政府の発表から国境封鎖まで実質2日もありませんでした。よって、自国に帰るための航空チケットを買い求めようと、多くの外国人が殺到しました。キャンセルになった便も多く、長距離バスなどで隣国へ出てから航空便を利用した人もたくさんいたそうです。

首相会見の翌日から自宅隔離措置が開始され、ポーランドの人びとの「自粛生活」がはじまりました。図書館、劇場、スポーツジムなどの公共施設はすべて閉まり、50人以上での集会、屋外での運動も禁止です。スーパーや薬局などの買い物は許可されたので、最低限の生活を続けることは難しくありませんでしたが、街からは人が消えました。私のルームメイトは実家に帰ってしまったので、私は部屋に一人残され、孤独との共同生活が静かに過ぎていくばかりでした。

そんななか、世界各地に取り残されたポーランド人を自宅に送り届ける”LOT DO DOMU(直訳:家への飛行機)”、通称「お家へ帰ろう便」もはじまりました。LOTポーランド航空と政府が協力し、自国民がポーランドへ帰れるように特別便を運行するという取り組みです。国境閉鎖から22日間で、71か所の空港へ388便もの特別便が飛び、5,500人以上のポーランド人が帰国しました。また、2,000人以上の外国人を現地に向かう便に乗せ、自国へと送り届けました。4月2日には日本へ向かう飛行機が飛び、ポーランドに残っていた日本人の帰国も実現しました。ポーランド人はもちろんのこと、国際線が運航停止しているポーランドからの出国も困難な状況のなか、多くの帰国希望者がこの「お家へ帰ろう便」で家族のもとへ戻ることができたのです。

政府は新型コロナウイルスの感染脅威事態における規制を、4つの段階を踏んで解除していく方針を決め、5月18日にはステップ3まで進みました。公共の場でのマスクの着用や、店内での手袋の着用義務は続いていますが、外出は許可され、ショッピングセンターやレストランなども再開しています。川辺や広場のベンチでくつろいだり、サイクリングやスポーツを楽しんだりする人びとのすがたが街に増えて、いつものポーランドらしい、穏やかで活気のある空気がやっと戻ってきました。

しかし、感染者数が減っているわけではありません。5月22日現在で、感染者数は合計20,143人。4月以降は一日に平均300人ほどの感染者が確認されています。ただ、感染者数が多いのは、検査数が多いということでもあります。感染が確認された患者と接触した人は、「接触濃度」に関わらず検査されます。そのなかには症状のない人もいます。

まだまだ予断を許さない状況ではありますが、ポーランドは少しずつ日常を取り戻しつつあると言えるでしょう。異国での私の自粛生活はもう少し続きそうですが、私と同じく帰国を見送った友人と励まし合い、希望を持って、毎日を過ごしています。日本にいる家族や友人にもたくさんのパワーをもらって、自分も日々まわりの人に支えられていることを実感しました。

いつか終わりはやってきます。声をかけあい、笑顔でこの状況を乗り越えましょう。


岩澤葵(いわさわ・あおい):クラリネット奏者。ポーランド・ヴロツワフ在住。ヴロツワフ音楽院修士課程在学中。

コロナ終息に向けて:各国レポート(14)アメリカ・ハワイ

united states of america

パンデミックは人を恋しくさせる

シーモア・ダニエル

初めまして、ハワイ在住のダニエルといいます。

私が勤めているトリプラー陸軍病院は現在、ハワイ全体のロックダウンにともない、院内でのソーシャル・ディスタンスを保つため、必要最低限の職員しか出勤させていない状態です。私は臨床カウンセラーとして働いているのですが、3月早々にリモートワークとなりました。

「いくらパンデミックといっても、あの癒しと常夏のハワイがロックダウンなんて想像できない」と思う人は多いのではないでしょうか。私も日々、家族以外の人間と一切会わずにトロピカルな熱帯雨林に囲まれた生活を送りながら、「これでいいのかな~」と思うことがよくあります。その反面、どこかモヤモヤする気持ちがついてまわり、やり場のなさを感じるのが正直なところです。そのモヤモヤ感はちょっとした倦怠感にも似ています。

backyard

コロナウイルス感染拡大の影響で、ハワイの34%の労働人口が失業し、1日3食すらまともに食べられない家族が急増する苛酷な状態のなかで、テレワークをしながら「公務員」として安定した給料をもらいつづけている身分の私が抱えるモヤモヤ感なんて、「贅沢な悩み」と言われてもしかたないかもしれません。仕事の打ち合わせもクライアントとのカウンセリングもすべてZoomで行われ、買い物も食品宅配サービスに頼み、何一つ不自由のない生活を送っているはずなのに、こんなにメリハリがないのはなぜなのでしょう?

そのうえ、「コロナ貯金」も着々と進んでいます。出費をともなう外出がいっさいなくなり、子どもの習い事も消えたからです。先日、車のガソリンを入れたときには、なんと2カ月ぶりでした。

運動すればいいって? はい、しています。毎日のジョギングとHIIT(オンライン上でできるトレーニング)は欠かさずやっています。家族で散歩やハイキングに行くこともあります。ついこのあいだ、2カ月ぶりに家族でビーチに行き、子どもたちは大はしゃぎでした。

じゃあ、いったい何が不満なのかというと「ズバリこれ」というものもないのです。

ただ、隣人のジェレミーを見ていると、モヤモヤの原因がわかってくるような気がします。彼は独身で、ロックダウンになる前は「野菜のピーラー」をフリーマーケットで売っていたミュージシャンでした。そう、まさに「自由人」。もちろん彼は、州政府が出している外出禁止令なんてまったく気にしません。違反者の摘発に目を光らせるハワイ警察を尻目に出かけたかと思えば、ミュージシャン仲間と夜な夜などんちゃん騒ぎです。

あまりのうるささに、何回通報してやろうかと思ったことか……。平気でバーベキューにも誘ってきます(笑)。それでもなぜか私は、100%白い目で彼を見ることができないのです。どんちゃん騒ぎにはもちろん驚かされて迷惑ですが、仲間との交流はわかる気がするからです。

ロックダウンによって何が一番変わったかというと、それは「普段」がなくなったことです。

ロックダウン以前の私の「普段」はというと、職場に行き、同僚と打ち合わせをし、クライアントのカウンセリングを行い、仕事が終わり子どもたちを学校に迎えに行って、いっしょにブラジリアン柔術を習い、道場生と交流し、週末は友達たちとバーベキューをし、ビーチに行く。

そんな「普段」の中心となっていたのは、「人」だったんですよね。

いくらZoomで頻繁に連絡を取り合っていても、どこかで限界を感じてしまうのです。Zoomでは、どうしてもスクリーン上の写真とお話をしているような違和感があり、生身の人間が発する「気」が欠けている気がして、どこか物足りなさを感じてしまう。そして、その「物足りなさ」の蓄積が、モヤモヤ感を作りだしているのだと思います。

早い話が、人が恋しいのでしょうね。自分には家族が身近にいるけど、ジェレミーみたいな独り者だったら同じ行動をとっているかもしれませんね。

でも、どんよりとしたニュースだけではありませんよ!

Hana

2週間前、生まれて間もない子猫ちゃん(まだ胎盤とへその緒が付いていました)を保護したことで、家族に新たなメンバーが加わりました! 最初は車に轢かれたネズミだと思って通り過ぎたのですが……。こういうのを「縁」というのでしょうね。

では、日本のみなさんお気をつけて!


シーモア・ダニエル:臨床カウンセラー。2019年よりハワイ在住。

コロナ終息に向けて:各国レポート(13)イタリア

italia

子どもたちとロックダウン

飯田亮介

2ヶ月あまりの長きにわたり続いたイタリアの全国ロックダウンが5月8日にようやく緩和され、不要不急以外の外出も許されるようになった。

今まで何が辛かったって、運動不足がいちばん辛かった。僕の場合、運動不足は即、便秘(失礼!)につながり、便秘はイライラを呼び、僕のイライラは一家の不幸となるからだ。これはなかなかに真剣な問題なのである。

だから今、何が一番うれしいかと言えば、また大手を振ってジョギングに行けるようになったことだ。

次にうれしいのは、散歩にも、営業再開したバールにも、レストランにもまた子どもたちを連れていけるようになったことだ。何せ完全なロックダウン中は、特別な理由がなければ、子どもたちを家の敷地の外に出すことさえできなかったのだから。

わが家の9歳の長女と5歳の次女は、狭い家の中でもふたりで楽しく遊んで過ごせるほうだ。その点、ひとりっ子でないだけでも幸いだった。でも娘たちが何よりも恵まれていたのは、大騒ぎして跳ね回ることもできる、ちょっとした庭と広いテラスがあったことだと思う。ふたりが庭で遊ぶ姿を見るたびに、僕は罪悪感めいた気持ちとともに、大都会の集合住宅で暮らす子どもたちは(そしてその親たちは)どうしているのだろうか、と心配になった。

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僕が暮らしているのは中部イタリアの田舎の小さな村(人口約1,000人)で、みんな顔見知りみたいなものだから、実はロックダウン中でも、近所の子どもたちが自分の家の近くを散歩しているくらいならば、目くじらを立てて大人が叱り飛ばす、という場面はなかった。でも、大きな町の子どもたちはいったいどうしていたのだろう。今回の危機を通じて、そのあたりがメディアで語られることがあまりなかったように思う。

テレビはほとんど見ないので、主にこちらのラジオ・新聞・ネットメディアを介しての印象だが、とにかく「大人たちが」この危機をどう乗り切るか、どう苦労しているか、という話ばかりで、子どもたちはどう過ごせばいいのか、今どうしているのか、という話を聞いた記憶があまりない。せいぜい、超長期におよぶ学級封鎖(今のところ9月半ばまでの予定)のあいだ、いきなりパソコンを使ったリモート授業を行うことになった先生たちの苦労話のついでに、家庭環境の格差から子どもたちも苦労しているといった話くらいだろうか。

もちろん「まずは大人たちが国を、経済をどうにか回していかなければ、子どもだって食べていけない。だから、とりあえず大人が先」という理屈もわからないではない。でもその大人のなかには、かなりの割合で子どものいる親がいるはずだ。だから、親たちはみんなどうしていたんだろう、と僕は思ってしまう。表に遊びに行けない理由を、友だちと一緒に遊べない理由を、ソーシャルディスタンスを保つべき理由を、どう子どもたちに説明すべきなのか。また、大人は仕事があるからと言って、子どもにはタブレットPCを与えておくだけで本当にいいのか。普段にまして多い宿題の手伝いを誰がいつすればいいのか。こんな状態がいつまで続くと子どもたちには伝えればいいのか……。そういった子どもの(そして親の)ための論点がメディアで語られることがあまりに少なかった気がするのだ。

ロックダウン中、あれこれ規制があるなかで、子どもたちの日常生活について明確に触れた規定は、学級封鎖のそれを除けば、「公園・遊具の利用禁止」くらいしかなかった。あとは集合の禁止、外出の禁止といった、やはり大人視点のルールが子ども「にも」適用されるという、「ついで」感が常にあった。

今日も僕はジョギングに出かけ、村の外れで子どもたちが遊んでいるところにさしかかった。本当はまだ他の家の子たちと大勢で集まって遊ぶことは禁じられているはずだ。隠れて遊んでいたのだろう。なかにはマスクもせずに友だちとじゃれあっている子もいた。その子は僕に気づくと、バツが悪そうな顔をした。でも、なんだかこちらのほうがいたたまれない気持ちになった。先月、僕が訳出した『コロナの時代の僕ら』で、作者パオロ・ジョルダーノも言っていたが、こんな状況を生んだ責任のかなりの部分は、どうやら大人である自分たちにあるみたいだから。


飯田亮介(いいだ・りょうすけ):イタリア語翻訳者。イタリア中部・モントットーネ村在住。https://note.com/giapponjin

コロナ終息に向けて:各国レポート(12)スロヴェニア

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流行終息に向かうも、新たなる火種

木村高子

5月14日、スロヴェニアでは、コロナウィルスの流行終息宣言が出されました。ヨーロッパの国のなかでは最も早く、流行宣言が出されてからじつに2か月後のことです。

中欧の小国であるスロヴェニアでは、今年2月以来、隣国イタリアでの感染拡大に警戒しつつ状況を見守っている状態でしたが、3月4日に国内で初の感染者が確認されると、12日に流行宣言が出されてロックダウンが始まりました。教育機関は無期限休校、バスや電車などの公共交通機関は運行休止、そして食料品店を除くすべての商用施設は基本的に閉鎖。国民は自宅待機を要請され、誰もがマスクを着用するようになりました(これまでスロヴェニアにはマスクをする習慣がありませんでした)。外国からの入国制限措置が導入され、航空交通も停止し、スロヴェニアは陸の孤島となったのです。3月中旬からは食料品店の営業時間が短縮されました。高リスクグループとされた高齢者や妊婦は、午前8時から10時のあいだと、閉店前の1時間しか買い物できないようになりました。

3月30日からは、居住する自治体からの移動が原則禁止になりました。アルプス山脈の南側に位置し、気候のよいスロヴェニアは、近年、外国人観光客も増えています。首都リュブリャナにある川沿いのレストランやカフェはいつも満席でしたが、3月から矢継ぎ早に導入されてきたコロナ対策の措置の結果、まるでゴーストタウンのように閑散としはじめました。ただし、公園などの散歩やジョギングは許可されていたので、自粛期間中も多くの人が公園や川沿い、近郊の丘などに出かけていたようです。自然好きのスロヴェニア人らしいですね。

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3月のある週末、いつもは賑やかな土曜日の青空市場の閑散とした様子

カトリック国であるスロヴェニアでは、毎年イースターの日になると、多くの人が教会のミサにハムやパンなどを持参して祝福を受け、その後は家族で集まってイースター・ブレックファストを楽しみます。しかし今年は、車に乗った司祭が信者の家をまわり、用意した食べ物とともに庭先で待つ信者に、車のなかから祝福の手振りをする様子がテレビで放送されました。一部の国のように警官が街中を巡回して職務質問をしたり、外出者を取り締まったりするようなことはなく、国民はおおむね政府の指示に従って、おとなしく家に籠もっていたようです。

こうした政策が功を奏したようで、4月末以降、1日の感染者数は一桁台におさまり、現在では感染者数ゼロの日もあります。5月21日現在、スロヴェニアの感染者の総数は1,468名、死者数は106名です(なお、スロヴェニアの総人口は約200万人)。高齢者施設での死者の多さが目立つものの、さいわい、医療崩壊は起きませんでした。4月15日には、入店の際の手袋着用義務が解除(マスク着用は継続)され、屋外スポーツ解禁、自治体間の移動制限解除、鉄道再開と、警戒措置が少しずつ緩和されていきました。5月4日からは、教会のミサやレストランの屋外テラスでの営業再開が許可され、18日には、一部の例外を除き、すべての店舗の営業再開が認められました。ようやく、町に少し活気が戻ってきた気がします。

教育機関に関しては、小学校の低学年と最終学年、及び高校の最終学年のみ、学校での授業が再開され、それ以外はオンライン学習が当分継続されるようです。知り合いの高校生によると、学年末試験もオンラインで実施されるとのこと。ズームのビデオと音声をオンにした状態で答案を書くのだと教えてくれました。

ウィルスの封じ込めにほぼ成功したことで、政府の支持率が上昇するかと思いきや、今やこれが新たな火種となっています。じつはスロヴェニアでは、ロックダウン決定直後の3月13日に政権が交代したのです。新たに政権を握ったのは、今回が第三次内閣となる右派のヤネス・ヤンシャ首相(一期目は2004-08年、二期目は2012-13年)。しかしヤンシャ首相には、2014年にフィンランドの軍事企業からの収賄疑惑で起訴され、服役したという過去があるのです(その後判決取り消し、時効に)。ハンガリーのオルバン首相とも親しく、毀誉褒貶の激しいことでも知られています。

そんななか、4月24日に、マスク購入に関して複数の閣僚が身内に利益供与したというスキャンダルが発覚。5月1日のメーデーには反政府デモが開催されました。といっても、集会禁止令の発令中ですから、デモ参加者は自転車に乗り、ベルを鳴らしながら官庁街を走り回りました。汚職に対する抗議であるとともに、危機に乗じて政府が国民の私権を制限しようとしていることに対する抗議です。それ以降、毎週金曜日の夕方には同様のデモが国内の複数の都市で開かれ、毎回数千人が参加しています。これに対して首相は、メディアや司法に対しても批判の矛先を向けています。

ヨーロッパではこれからバカンスシーズンが始まりますが、経済再建にはやる政府の政策によって外国人観光客が戻ってくるのか、そして、それによるコロナ感染拡大の危険はないのかという疑問も残ります。そのこともまた、観光を経済の重要な柱の一つとするこの国のジレンマであり、この先スロヴェニアの社会がどうなっていくのかを注視していかなくては、と思っています。


木村高子(きむら・たかこ):英語・フランス語・スロヴェニア語翻訳者。スロヴェニア・リュブリャナ在住。