コロナ終息に向けて:各国レポート「第一弾」を終えて

一昨日のスペインからの報告をもちまして、各国レポート「第一弾」は、ここでいったん終了させていただきます。

5月2日からほぼ1カ月にわたるリレー形式で、26カ国について27人の方がレポートを寄せてくださいました。

当初は弊社とかかわりのある翻訳者さんに書いていただく予定だったのですが、できるだけたくさんの国を紹介したいという思いから、大学の先生、NGOの職員の方、病院勤務の方、音楽家さん、留学生……などにも執筆をお願いすることになり、さまざまな方にご協力いただきました。

あらためて、今回ご紹介した国を列挙させていただきます。

フランス、スウェーデン、中国、ドイツ、マダガスカル、アメリカ、韓国、コロンビア、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、スロヴェニア、イタリア、アメリカ(ハワイ)、ポーランド、デンマーク、台湾、オランダ、マレーシア、アイルランド、バングラデシュ、チェコ、ルワンダ、トルコ、モザンビーク、ネパール、スペイン

もちろん、世界にはまだまだたくさんの国があります。今回の国々は、あくまで翻訳者さん・通訳者さんが住んでいらしたり、そのまたお知り合いがお住まいの国だったりというだけで、意図的に選んだものではありません。

それでも、これだけの国のレポートを読むと、コロナウイルスの感染の脅威にさらされていない国はいまや地球上どこにもない、ということがよくわかります。国によってこんなにも生活ぶりが違うにもかかわらず、「マスクの着用」「手洗い」「ソーシャルディスタンス」といった感染予防対策の基本はどこもまったく同じだということも……。まさしく、新型コロナウイルスとの闘いに国境はありません。

一方で、それぞれのレポートにはお国柄や国民性が表れていて、現地にいる方だからこそわかる空気感までもが伝わるレポートも多かったのではないでしょうか。また、アフリカやアジアや中南米からのレポートには、日本ではなかなか知りえない貴重な情報もたくさんありました。手探りではじめたこの企画ですが、とても意義深いものになったのではないかと思います。

あらためて、協力してくださったみなさま、お読みくださったみなさまに心から感謝いたします。

このレポート、「コロナ終息に向けて」と銘打ちましたが、ご存じのとおり、どこの国もまだまだいつ終息するかわからない状況が続いています。日本でも、緊急事態宣言が解除されてお店や学校が次々と再開していますが、解除の直後に「東京アラート」が発動され、第二波に対する警戒が強まっています、

そこで、この企画は今回で終わりにせずに、このあとも二度ぐらいにわたって、同じ国々を追いかけていこうと思っています。レポート第二弾は1~2カ月後になる予定です。第二弾をお届けするときには、どこの国でも状況がはるかに明るくなっていることを心から祈りつつ、この企画はいったんお休みに入ります。

みなさま、ありがとうございました。
ひきつづき、どうかお体にお気をつけてお過ごしください。

株式会社リベル

コロナ終息に向けて:各国レポート(27)スペイン

spain

スペイン流自粛生活とこれから

米田真由美

スペインは世界で5本の指に入る新型コロナウイルスの感染者、死者数を出した国である。これが最後といわれる警戒事態宣言の延長がつい先日発表された。発令から約3ヶ月、スペイン全土がようやくフェーズ1となり、感染者の多かった都市部でも規制緩和が始まっている。

2月中旬以降、隣のイタリアでは感染者が爆発、医療崩壊が起き、その後ロックダウンとなったにも関わらず、スペインの人たちはのんびりしていた。誰もが対岸の火事だと思っていたのだ。それから1週間も経たないうちにイタリアのようになると想像していた人はごく少数だろう(その証拠に、イタリアで開催されたサッカーの試合にスペインの団体が応援に行っている)。なぜなら、コロナウイルスに関する正しい情報があまりにも少なく、あったとしても楽観的なものばかりが目につくからだ。コロナ感染云々より、コロナを恐れていては普段通りの社会生活ができなくなるという考えの方が勝っていたのだろう。マスクの使用や消毒の使用にこだわり警鐘を鳴らす人は“Psicosis(直訳は精神病)“=神経質すぎると揶揄されていたぐらいだ。

スペインでは3月14日からConfinamientoといわれる外出規制が始まった。Confinamientoは、日本語に訳すと「監禁」「封鎖」「引きこもり」などの意味があり、もし、スペインに流行語大賞があったらまちがいなく今年はノミネートされるだろう。 とにかく外出したり、集まったり、誰かと食事やお酒をともにしたり、おしゃべりしたりするのが大好きなスペイン人にConfinamientoができるのか? 私の頭に、半日誰かと話せないだけでも頭がおかしくなりそうな友人の顔がいくつも浮かんだ。

人と会えないかわりにWhatsApp(チャットアプリ)が社交場となり、瞬く間にグループチャットはスペイン流ジョークであふれた。スペイン人のこのジョーク作りとその流布のスピードはすさまじい。政府の風刺であったり、世界中が騒いだトイレットペーパー不足の皮肉であったり、様々な画像や動画、音楽を組み合わせ、イラストやグラフィック技術を駆使し、こんな非常時でも多くの笑いを提供してくれた。なかには腹を抱えて笑えるようなものもあった。ほかのこともこのくらい早ければよいのにと、いつも思う。

外出規制が始まって数日後には、誰が発案したのかは定かではないが、人々が夜の8時になるとバルコニーや窓際に出て、医療従事者にエールを送る拍手をしはじめた。そのうち拍手では物足りなくなり、80年代に流行したスペインのPOPミュージックが流れてきた。その曲名は「RESISTIRÉ(耐え抜いてやる)」。 誰かが大音量で流し、それに合わせて近所の人たちが大合唱。ご近所さんとはいえ、このことで初めて顔を合わす人も多かった。よく知らない人たちなのに、みんなでRESISTIRÉを合唱しているうちに乗り越えられそうな気さえしてきた。その頃イタリアではオペラを流しながら、フランスではワインを片手にバルコニーに出る人々が報道されていて、お国柄が出るものだなと思ったのを覚えている。

一方、ニュースでは不穏な空気の国会中継が流れ、政府が発表するコロナ政策も休業補償や生活保障の情報も、具体的なことはよくわからなかった。入院中の家族を見舞えない、スーパーや薬局で買ってきたものをいちいち消毒しなくてはいけない、得体の知れないウィルスの怖さゆえに医療従事者を差別してしまう、励ましたい人にハグできない、歪んだ日常と不安からストレスがたまる……死亡者数が尋常ではないほどに膨れあがっていくことにもだんだん慣れてしまう。こそんな時だからこそ、生きていること、デジタルではなくアナログな方法で人と人が繋がっていることを実感したい、そんな気持ちがバルコニーでの拍手や大合唱行動を起こしたのだと思う。

スーパーでのビールやワインの売り上げは一時70%増加した。バル文化が根付いているスペインでは、アルコールは家庭内で消費されるものではなく、情報収集のために通う社交場でのコミュニケーションツールの一つだったのだと再認識させられた。バルへ通えるようになったらまたスーパーでのアルコールの売り上げは下がっていくのだろう。だけど、前とは景色が少し違っているはずだ。バルのカウンターの向こうにはマスクやフェイスシールドをしたウェイター、床には客同士の距離を取るために貼られたガムテープの印。これからがコロナとの本当の戦いといえる。

これからきっと、スペインで暮らす人にとっては考えられない新たな生活様式がたくさん生まれるだろう。一昔前のスペインでは、タバコの吸えないバルやディスコ(クラブ)なんて考えられない!と言われていたが、今ではどんな店でも屋内での喫煙などできないようになった。「考えられない=実現できない」ではないのだ。

自己主張が強いスペイン人だが、同時に彼らには「助け合う風土」が根付いている。そしてその助け合いの精神には驚くほど垣根がない。これから始まるアフターコロナの時代をどうにか助け合いの精神とユーモアで乗り切ってもらいたい。


米田真由美(よねだ・まゆみ):スペイン・アリカンテ在住のコーディネーター・通訳者。アリカンテ大学語学教育センター勤務。

コロナ終息に向けて:各国レポート(26)ネパール

nepal

これからが正念場、受け流しながら終息へ向かえるか

勝井裕美

ロックダウンが6月14日まで延長されたネパールは人口約2,900万人、北を中国、南をインドという大国に挟まれた小国だ。ネパールのコロナの感染状況はこの国の位置関係が大きく影響している。

6月2日現在、2,099名の感染者が確認されているが、その7割超がインドとの国境沿いの平野部に集中している。中国の武漢での感染が確認された後、ネパールと中国間の北側の国境は早々に閉じられた。一方、南側のインドとの国境はフリーボーダーで、両国民はお互いの国にパスポートなしで行き来ができる。壁が設置されているわけでもないから、普段から多くのネパール人が、物が安く豊富なインド側に買い物に行っている。インドへの出稼ぎ者も多い。ガス、ガソリン、医薬品や食料品などの半数以上はインドからの輸入である。このようにネパールの暮らしはインドとの関係に大きく左右される。

3月23日時点で人口13億人を抱えるインドの感染者数は415人だったが、その後、新規感染者数が急増し、世界各地からもインドでの感染拡大を危ぶむ声が相次いだ。ネパールにあるたった1つの国際空港で外国人の入国制限が始まったのは、国内で初めての感染者が出た2月下旬だったが、インドとの国境封鎖が始まったのはロックダウンを開始した3月24日の前日である23日からだった。ネパール政府はインドとの国境を封鎖しない限りは国内の感染リスクが増大すると気づきながらも、その決断にはインド政府との調整が必要だったのかもしれない。

この国境閉鎖によって多くのネパール人がインド側に取り残された。彼らはインドのロックダウンによって仕事を失い困窮し、警察の目を盗んでトウモロコシ畑の国境を越えて帰郷した人までいたという(罰を恐れた彼らは帰郷に成功しても、政府が設置した隔離施設には入らなかった)。国境閉鎖から2か月経ってやっとネパール政府は正式にインドからの帰国を認め、現在は50万人のネパール人が帰国の手続きを行っている最中だ。同時に、3月22日からの飛行機の国際線停止によって中東などに取り残された、2~3万人の出稼ぎ労働者たちの帰国もまもなく始まろうとしている。ネパールの隔離施設は学校や公民館といった公共施設を利用しているが、その数も質も不十分で、地域によっては外で野宿をしている人たちも出ている。

このように、ネパールではこれからがコロナ対策の正念場だ。とはいえ、ネパール人はよくここまで踏ん張っていると思う。ネパールではロックダウンに伴って、外出禁止が発令され、食料品と医薬品の買い出しと病院に行く以外の外出は禁止となっている。街からは車や人が消えた。大きな交差点には警察官が配置され、車両の通行のチェックなども行われている。道を歩いていても、時々、どこに行くのかと警察官に質問されることもある。

ヒンドゥー教の神様の使い、牛が悠々と闊歩

ヒンドゥー教の神様の使い、牛が悠々と闊歩

私も銀行のATMに行こうとしたら警察官に声をかけられた。ネパール語で対応していると、だんだんネパール人特有の人懐っこさが顔を出し、「ネパールに来て何年だ?」「結婚しているのか?」「なんでしてないんだ?」(いずれもネパールでは定番の質問。純粋に結婚していないことが彼らにとっては疑問であり、同時に心配してくれているのだ)「今度、いいやつを紹介してあげるよ」(頼んだら絶対、紹介してくれる)と会話をしているうちに、「行っていいよ」と許可してくれた。

今回のロックダウンに対する人々の反応は私の予想を超えていた。人々が外出しないのは警察の取り締まりも影響しているが、それ以上に彼らはウイルスを怖がり、自主的に店を閉め、外に出ないのだ。彼らは自国の医療体制が脆弱なことを知っていて、先進国でさえ大きな被害をもたらしたウイルスを恐れている。スーパーは入店制限を行い、八百屋の入り口にはロープが張られて店内には入れず(店主に買いたい野菜を伝えて買う)、レストランは早々にテイクアウトに切り替えた。それでも、人々の顔は不思議と穏やかなままだ。この対応力はどこからくるのだろう。

ネパールでも並ぶ習慣が生まれるのだろうか

ネパールでも並ぶ習慣が生まれるのだろうか

1996年に始まった内戦が10年間続いたネパールでは、2015年に憲法が発布されるまで「バンダ」が日常だった。バンダとは、主に政治グループが自分たちの意見を通すために、「店を閉めろ、車を走らせたら暴力をふるう」と人々を脅して社会機能を止めてしまう行為だ。また、2015年には大地震とインドによる非公式の経済封鎖と災難が続いた。こうした経験から、ネパールの人々は、自分ではどうにもならないことを受け流すのがうまくなったのかもしれない。そしてそれは、辛抱が必須なコロナ感染対策において、大きな強みになっていると思う。


勝井裕美(かつい・ひろみ):NPO法人シャプラニール=市民による海外協力の会(https://www.shaplaneer.org/)ネパール事務所長。ネパール・ラリトプール市在住

コロナ終息に向けて:各国レポート(25)モザンビーク

mozambique

モザンビークの新型コロナ事情

森本伸菜

モザンビークで最初の新型コロナ感染者が確認されたのは、他国に比べて遅く、3月21日、首都マプトでのことでした。その直後、政府は隣国との国境を閉鎖し、国際便の運航を停止しました。感染の拡大はゆっくりですが、今後どのような拡大カーブになるのかを予想するにはまだ早すぎるようです。最初の感染者が出てから2か月が経ちますが、現在の感染者数は254人、死亡者数は2人です。

人口3,000万人のモザンビークで死者数の少ない理由については、人口構成が比較的若いから、またそもそもの検査件数が少ないからと言う人もいます。私個人としては、モザンビークの人口密度が低いことや、政府の迅速な対応なども関係していると思っています。

カプラナというモザンビークのプリント地のマスクが作られているようす

カプラナというモザンビークのプリント地のマスクが作られているようす

mozambique2

外国からやってきたコロナウイルスは、最初は、首都のマプトや多くの外国人がいるLNG油田のある北部のカボデルガド州で広がりました。現在は、コミュニティ内での感染が始まっていて、全国各地で感染者が出ています。5月初めには私のいるイニャンバネ州にも感染者が出ました。

私は地元のコミュニティ・アピール・プロジェクトに参加しているのですが、隔離されている貧しい家族に食料パックを配ったり、200世帯分の募金を集めたりしました。また要所要所に手洗い場「Tippy Tap」を設置したり、村のリーダーに新型コロナの情報を伝えたりする活動もしています。一般的に、アフリカの人々は、結核やHIVエイズのような生命を脅かすウイルスや病気に慣れてしまっている気がします。そのため、新型コロナの恐ろしさを村の人々にどう伝えるかが大きな課題となっています。新型コロナがはやりだした頃、よく「ああ、これは金持ちだけがなる病気だよ」と言うのを耳にしました(先にヨーロッパでウイルスが猛威を振るったせいなのか、モザンビークの感染者第一号がヨーロッパ出張から帰国したアプト市長だったせいなのか……)。

村の手洗い場 Tippy Tap

村の手洗い場「Tippy Tap」

最初は、貧困の度合から、アフリカはこのような状況に弱いだろうと考えられていましたが、実際にはいろいろな面でな対応力を持っています。アフリカ諸国では、事実の受け入れも対応もすばやく、新型コロナウイルスの感染の拡大をコントロールしていると言えるでしょう。

アフリカでは「stay at home」は特権階級にのみ可能で、貧しい地域の人たちに出来ることではありません。彼らは外で働けなくなると知るとすぐに家の周りを耕し食糧生産を始めます。そういった人たちのほとんどが大家族で、とても強い絆で結ばれています。大家族ということは、ソーシャルディスタンスを取る生活を送ることは難しいですが、同時に強いサポートネットワークが身近にあるということでもあります。

マスクをする家族

マスクをする家族

6月に入って、政府は緊急事態宣言レベル4を1か月延長しました。移動の制限や、公共交通機関、個人的あるいは宗教的集会、公共及び私企業などの活動の規制があと1か月は続きます。モザンビークの感染率は抑えられていますが、社会的、経済的荒廃が甚大であることに変わりありません。

実際に、私が住んでいる海岸沿いの小さな町トーフ(マプトから北500キロ)は苦境に立たされています。トーフは主に観光で成り立っている町で、1人の労働者が平均5~6人を養っていると言われています。しかし、新型コロナの影響によって外国人観光客は激減し、いつ戻って来るか全くわからない状況です。多くの人が失業、または大幅な収入減に直面しています。トーフではまだ感染は広がってはいませんが、これから感染拡大が起こるかもしれません。また、検査がわずかしか実施されていないため、感染拡大の実態がわかっていないだけかもしれません。

ソーシャルディスタンスを取りながら、Tippy Tapに並ぶ人々

ソーシャルディスタンスを取りながら、Tippy Tapに並ぶ人々

世界各地で「ニュー・ノーマル・ライフ(新たな生活様式)」が言われはじめていますが、モザンビークがこれからどうなるのか、まだ誰にもわからない状況です。人が大勢集まる闇市や村の集会、外で走り回って遊ぶ子ども……こういった風景が当たり前のモザンビークの人々の生活も、新型コロナウイルスによって変わっていくのでしょうか。

いま私たちにできることは、保健衛生に努め、最善の結果になるよう祈りながらただ待つことだけです。


森本伸菜(もりもと・のびな):モザンビーク・トーフで日本食レストラン「すみバー・アンド・キッチン」を南ア人の夫と経営。現地の子どものためのコミュニティなどの活動に深く関わっている。

コロナ終息に向けて:各国レポート(24)トルコ

turkey

厳しい断食月を乗り越え緩和へ向かうトルコより

西岡いずみ

トルコでは、3月10日に最初のコロナウイルス感染者が発表されました。その後、3月16日には小中学校、高校、大学、その他の教育機関の閉鎖(5月18日に9月の新学年の始まりまで継続と発表されました)に続き、65歳以上の外出禁止、31の都市の入出禁止と20歳以下の外出禁止、飲食店の店内営業禁止などが打ち出されました。4月12日以降、いくつかの大都市では毎週末の全面外出禁止が続いています。外出禁止違反には3,150トルコリラ(約5万円)の罰金が科され、これはひと月の最低賃金額に近い数字です。

このような対策の成果か、現在、トルコの感染のピークは越え、5月29日現在で感染者は1,141人(累計感染者数:162,120人/ウイルス検査総数:1,964,364件)、コロナウイルスによる死亡者は28人(累計死亡者数:4,489人)となっています。累計感染者数だけを見ると、インドに次いで世界10位ですが、医療崩壊は免れており、社会的な問題も発生していません。これには、トルコの比較的高い医療水準と、ほぼ国民全員加入の健康保険制度が影響しているのかもしれません。

いつもは行列ができるアヤソフィアの前も無人

いつもは行列ができるアヤソフィアの前も無人

ここでトルコの巷の様子について少し触れてみたいと思います。トルコの街中には野良犬や野良猫が多く、普段は動物愛好家が世話をしています。しかし今回、外出の自粛・禁止に伴って、犬猫の世話が心配されましたが、各自治体が餌や水を配るなどしました。これには、動物愛好家たちも一安心。

こうした中で、野良猫たちの様子がちょっと変わってきました。以前は「ピスィ、ピスィ(トルコ語で「ネコ、ネコ」という意味)」と声を掛けると、ほぼ100パーセントの確率でどこからか猫たちが走って寄って来ました。アパートの8階にある我が家からも、地上に向かって呼びかけると、必ず馴染みの猫たちが窓の下に走って来ていたのですが、人々が外出を控えるようになってからというもの、「ピスィ、ピスィ」に応じる猫がほとんどいなくなったのです! 愛嬌をふりまかなくても餌がもらえるようになったからか、人々が外に出ないようになったことを理解しているためなのか……少しさみしいです。

トルコでは日本に比べると、人と人との物理的・心理的距離が近いのですが、コロナ禍以降、外で人とすれ違うことを避けようとする人が非常に増えました。また、人に会う時や別れる時、両頬にキスをし合う習慣があったのですが、鳥インフルエンザが流行ったころから、じわじわと「この習慣は良くない」という意識が広まりはじめ、ついに新型コロナウイルスが発生してからというもの、積極的にこの習慣を控える人が増えたように思います。私のようにこの習慣が苦手な人間にとってはうれしいことですが、戸惑う人たちも多いことでしょう。

閑古鳥(ハト)が鳴くブルーモスク前

閑古鳥(ハト)が鳴くブルーモスク前

宗教面でも、モスクでの礼拝が禁止になり、4月24日から5月23日までの断食月にも、変化がありました。例年だと、家族や友人を招いてイフタル(断食明けの夕食)を共にし、また各地で夕食を無料で配るテントが設置されたり、野外で大勢の人が夕食をとる風景が見られたりします。けれども、今年は野外でのイフタル禁止、家に人を招くことの自粛要請が出されました。さらには、断食月明けのシェケル・バイラム(砂糖祭り)に人が集まることを防止するために、祭りの期間に当たる5月23~26日は全国一斉外出禁止令が出されてしまいました。イフタルとシェケル・バイラムは、イスラム教徒にとって断食月の楽しみでもあるので、今年の断食月はトルコの人たちにとってかなりさみしいものになりました。

さて、感染拡大防止措置の話に戻ると、感染者数と死亡者数の減少を受け、まず5月11日からショッピングセンターや理美容室の営業が再開されました。失業・休業保障、医療などに対する国庫からの莫大な出費と、トルコリラ安への懸念もあります。経済を立て直すべく、早急に緩和に向かいたいという政府の思いも切実で、6月1日からの都市間移動、飲食店の店内営業、モスクでの礼拝などの解禁を含むいくつかの禁止令緩和が発表されました。それに伴って、町中には急激に人があふれはじめていることもあり、5月30~31日の土日にはまた、15の都市で外出禁止令が出されています。

すっかり夏の陽気になったいま、地中海人気質と遊牧民気質を合わせ持つトルコ国民を家に閉じ込めるのは、至難の業とも思われます。一方で、意外と真面目で勤勉で忍耐強い国民でもあるので、政府が状況に応じて適切な措置を講じることができれば、今後の大きな試練も乗り越えられるのではないかとも思います。

そして私も、早く馴染みの野良猫たちと自由に会えるようになることを楽しみにしています。


西岡いずみ(にしおか・いずみ):主婦、ときどき翻訳者。トルコ・イスタンブル在住

コロナ終息に向けて:各国レポート(23)ルワンダ

rwanda

内陸国であるルワンダのリーダー達に学ぶ

吉田香奈子

ルワンダは、東アフリカにある内陸国で、コンゴ民主共和国、ウガンダ、タンザニア、ブルンジに囲まれています。3月14日にコロナウイルス感染者第1号が確認されてから1週間で、政府は国境、空港を封鎖、国内の移動も規制することを決めました。それからすぐに、ウイルス感染は世界的に拡大していきましたが、世界各国政府の反応に比べ、ルワンダ政府の反応はとても早かったと思います。その後も感染者が爆発的に増えることもなく2か月がたち、6月以降は自由に移動できるようになるのでは、と期待されているところです。

一方で、現在、国内の新規感染者数がなかなか減少せず、そんなに早くは移動規制が緩和されないかもしれないという話もあり、不透明な先行きに国民のモヤモヤも高まってきています。これには、ルワンダならではの事情が絡んでいるように思います。

内陸国のルワンダは、生活必需品を海外から輸入しないと経済が立ちゆきません。国境封鎖中とはいえ、生活必需品については輸入が認められています。特に、発電については、その約半分を水力発電でまかなっているとはいえ、まだ約4割は火力発電であるため、タンザニアから陸路で石油を輸入しています。

ところが、4月下旬、タンザニアから国境を超えてくるトラック運転手の間で感染者が急増しました。当初は、タンザニアから越境してきた運転手に対して、国境を警備している警察が積荷を国境に置いて帰国するようにと指示をしていたようですが、運転手は仕向地まで積荷を持っていかないと報酬をもらえません。そこで、運転手と警察の間で暴力を交えた緊迫したやりとりがあったようです。5月中旬には、ルワンダ政府とタンザニア政府によって国境を往来する運転手についてのテレビ会議が行われ、お互いの運転手に対する検査義務と、タンザニアからルワンダに入国した運転手のモニタリングについての合意がなされました。それでも、トラック運転手のコロナ感染者数はいまだに抑えられていないようです。

ルワンダは内陸国であることに加えて、1994年に部族間の大虐殺を体験しました。だからこそ、国民が分断されるような言説を生み出すことについて、ルワンダのリーダーは厳格で慎重です。先の大虐殺は、人口の大多数派のフツ族が、政治経済の実権を握る少数派のツチ族に対して蜂起し、民族ごと粛清しようとしたとされています。実際は、旧宗主国のベルギーが植民地を統治しやすくするために、便宜上この2つの部族を区分けし、意図的に住民を分断した歴史があるとも言われています。大虐殺がそんな虚構の対立の上に発生してしまった、という苦い経験から、ルワンダのリーダー達は、国民を分断するような物言いに対して大変厳格です。

たとえば、コロナ感染者第1号は国際機関に勤務するインド人の出張者だったのですが、このニュースとともに、コロナ感染とは全く関係のない、市内でスーパーマーケットを経営する在留インド人の身分証明書の写真が、ソーシャルメディア上で広まりました。思えば、キガリ市内で外貨の両替商やコンピューター用品を扱う商店を経営しているのは、そのほとんどがインド系であり、地元のルワンダ人からしたら、繁盛しているインド人たちを見るのが面白くなかったのかもしれません。

インド人店主の写真が流布したことについて、ルワンダ政府は素早く厳格に対処しました。曰く「この情報は虚偽である。今後はコロナ感染者については当局の情報のみを信用すること。虚偽の情報を流布した者は厳しく処罰する」と政府が発表すると、それ以降“あの人たちは感染しているかもしれない”という感染リスク・グループについてのうわさもパタリとなくなりました。

タンザニアからやってくるトラック運転手に感染者が多い、という事実がある一方で、国民によるタンザニア人排斥の言論を認めず、コロナ感染を抑制するという目的に建設的に取り組もうとするルワンダのリーダー達から得ることは多いと思います。とはいえ、5月中旬から、新規感染者の出身国や職業が発表されなくなってしまい、感染者数の実態が見えなくなってしまったのは困ったものだと苦笑いしています。

6月1日時点で、国境封鎖が続いており、外出規制も続きそうな見通しですが、隣国との繋がりを大事にし、国内の分断を許さない「ルワンダ流」のリーダーシップに、私たちが学ぶことは多そうです。


吉田香奈子(よしだ・かなこ):ルワンダ・キガリ在住の主婦。夫は国際NPOに勤務している。

コロナ終息に向けて:各国レポート(22)チェコ

Czech

コロナ禍のチェコで感じた、助け合いの心とユーモア

岡戸久美子

チェコでは3月初旬に初の感染者が見つかったころから警戒が強まり、WHOのパンデミック宣言翌日の12日には政府が緊急事態宣言を発令、強硬策を次々と打ち出しました。ロックダウンの経緯と状況については、すでにレポートされているスロヴェニアとよく似ています。ですので、ここでは私が「ちょっと他の国とは違うかも?」と感じたエピソードについてご紹介したいと思います。

ロックダウン開始から数日後に出されたマスク着用令(スカーフ等で口を覆うのも可)。他の欧州諸国と同様に、普段マスク姿の人を見かけることは皆無だったチェコで、発令直後から街中ではほぼ100%の人が素直に口を覆うようになっていました。それだけでも驚きでしたが、SNSでは#rouskyvsem(みんなにマスクを)や#mask4allなどのハッシュタグとともに、家族や隣人のために家にある布を使ってマスクを手作りする姿をアップする人が続々と現れ、カラフルな布マスクが一気に広まりました。困っている人たちにもマスクが届くようにと「Damerousky(マスクあげます)」サイトも誕生。そのような動きを見た政府は食料品店などのほかに手芸品店も営業を許可し、寄付などでマスクを送る際は郵便局が無料で対応してくれることになりました。

それまではマイペースで個人主義の人が多い印象のチェコでしたが、今回の件では、みんなでルールを守り、助け合って早く危機を脱しようという政府と人びとの団結を見た気がします。

そんな中でもユーモアを忘れないのがチェコ人。銅像(偉人の銅像だけでなく動物の像にも)にマスクをかけたり、ヌーディストビーチで日光浴をする人びとに警官が「裸になるのは構わないが、口だけは覆うように」注意したり、といったニュースもありました(まじめな顔でおかしなことをするのがチェコ人の愛すべき特徴だと私は勝手に思っています)。

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チェコといえばビールです。日本ではベルギーやドイツがビールの国として有名だと思いますが、実は、チェコは国民ひとりあたりのビール消費量がダントツで世界一なのです。醸造所も大小さまざま、無数にあります。今回のロックダウンでレストランやパブが閉鎖になり、行き場のなくなったビールやピンチに陥った小さな醸造所たちを救うためのサイトも誕生しました。その名も「zachranpivo.cz(ビールを救え)」です。サイトを開くと、そこにはビールジョッキのマークに埋めつくされたチェコの地図が。パブで飲めなくなった代わりに、このサイトで気になる醸造所を見つけて注文・購入できるという仕組みで、329の醸造所がこのサイトに登録されているようです。

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https://zachranpivo.cz/より引用

うちの近所のパブには「お店は閉めていますが、ビールを買いたい方はお電話を」という張り紙がありました。ロックダウンで外飲みはできなくなったものの、家にいる時間が長くなり、けっきょくは、アルコールの消費量が増えてしまったという家庭は我が家だけではなさそうです。

政府の早めの対応と国民の協力が功を奏したのか、事態は収束に向かい、5月17日には緊急事態宣言も解除されました。店舗の営業再開、スポーツやイベント活動の許可など、段階的な規制緩和が進められることになっています。もちろん第2波の恐れもあり、油断はできませんが、どんな困難な状況でも助け合い、楽しむことを忘れずに乗り切っていく、そんなチェコの人びとの姿を見習っていきたいと思います。


岡戸久美子(おかど・くみこ):英語翻訳者、通訳者。チェコ共和国北西部在住。