コロナ終息に向けて:各国レポート(17)台湾

taiwan

SARSから学んだ台湾

メリー・ジェーン

私は映画マニアで、子供のころからよくアメリカ映画と邦画を観てきました。映画のストーリーのほとんどは、非現実で日常生活では起こり得ないことが多いですが、2011年に公開された『コンテイジョン』は、まさに、今の状況を予言するかのような作品で驚きました。コロナウイルスの感染が世界じゅうに広がっていき、総感染者数が500万人を超えているこの状況は、『コンテイジョン』で描かれたシーンにそっくりです。

私が中学3年生のころ、台湾はSARSに襲われ、多数の感染者と死者を出しました。今は当時のことをよく覚えていませんが、学校で毎日体温を測られたことは記憶にあります。また、台北市立和平医院でクラスターが起こり、多くの医師や看護師たちが病院から逃げようとする姿をテレビのニュースで見ました。当時、父と仕事をしていた日本のクライアントが、何箱ものマスクを送ってくれました。コロナ感染拡大の最中に、父は家の倉庫から当時のそのマスクを出してきましたが、綿布生地と明らかに大人に合わないサイズはまるで日本の「アベノマスク」。思わず笑ってしまいました。

SARSの経験を踏まえ、今年の旧正月の時期、つまり1月下旬のコロナウイルス感染が拡大する前に、台湾はすでに入国制限や検疫などの対策を行いはじめました。そんななか、私は友人と3人で東京に訪れたのですが、マスクと消毒液をつねに持ち歩き、日本にいるあいだずっとマスクをつけていました(黒いマスクをつけると、原宿キッズに似ていると言われました!)。そして、日本人の友達からマスクをお土産としてもらいました。「日本は大丈夫だよ!」「SARSが流行ったときは、日本では死者は出なかったよ!」とも言われました。そのときのことを振り返ると、少し悲しくなります。あのとき、もうちょっと強く、日本の友達に感染防止の考え方を押し付ければよかったなと思いました。

私の国、台湾は、コロナウイルス感染の早期段階での封じ込めに見事に成功していると言っていいでしょう。

5月22日の時点で、台湾のコロナ感染者は441人に抑えられ、1か月間以上も国内での感染者は出ていません。このまま水際対策がうまくいけば、感染の第2波も回避できるだろうと思います。今回、一人のヒーローがあらわれました。それは、中華民国衛生福利部部長である陳時中氏です。コロナ対策本部長でもある陳氏は、台湾ではヒーローのような存在になっていて、毎日、テレビや電車のなかで、陳氏が国民全員にコロナ感染拡大防止を呼びかける声が流れています。

台湾のコロナ対策は、世界からも賞賛されています。ただでさえマスクが不足しているのに「学校でからかわれるから」と言ってピンク色のマスクをしたがらない小学生のために、陳氏はピンク色のマスクをつけて国会に参加しました。これは台湾で大きなニュースとなり、共感を呼びました。もちろん、日本でも注目を浴びているIT大臣のタン氏もすごいと思いますが、陳時中部長がいなければ、台湾はこのようにコロナの感染拡大を封じ込められなかったのではないでしょうか。

現在の台湾はもう収束に向かっています。でも、電車に乗る際には必ずマスクをしないといけないし、ソーシャルディスタンスを保って感染を防ぐために、店の中では席を隔てて飛沫防止板が設置されています。私は以前はしょっちゅう駅の地下階でダンスを練習していたのですが、そこも密閉空間のために3月から利用禁止になり、いまだに解放されていません。今は全体的に少しリラックスした雰囲気ではありますが、ワクチンが開発されて導入されるまで、このような生活がしばらく続くことになるのでしょう。

Starbucks店内の様子

Starbucks店内の様子

このコロナ禍で、みなさんの日常生活には大きな影響が出ていると思います。面倒なこともたくさんあると思いますが、これからはきっといいことがあると信じて、もう少し頑張りましょう。


メリー・ジェーン:台湾在住のアプリマーケター。

コロナ終息に向けて:各国レポート(16)デンマーク

denmark

早期ロックダウンから段階的解除へ、危機で育まれた連帯感

針貝有佳

日本で新型コロナが騒がれ始めた頃、デンマークの人びとは「アジアは大変なことになっているらしい」と、どこか他人事だった。だが、2月末に国内初の感染者が発見されると、新型コロナはいっきに「身近な恐怖」として迫ってきた。

3月上旬に大規模な集会が禁止されたかと思うと、その後、あっという間に保育園・幼稚園・学校が閉鎖され、国境が封鎖された。まだ国内で死者が出ていない初期段階での、大胆なロックダウンだった。国民が非常事態を認識したのはこの時期だ。3月中旬には必要な機能を残してほぼすべてのインドア施設が閉鎖され、大半の人が在宅ワークに切り替わり、10人を超える集会が禁止された。

このような危機のなか、デンマークを引っ張っているのは、わずか42歳の女性首相メッテ・フレデリクセンである。彼女のストレートかつ明確なメッセージは、外国人である私にもわかりやすく、子ども向け会見では、寄せられた質問に子どもに理解できる言葉で回答していた。

驚いたのは、「物流は大丈夫だから、買い占めはしないように」という首相の呼びかけに、国民が応えたことだった。世界各地での買い占めの様子を聞いていた私は、正直「そうは言っても買い占めは起こるだろう」と思っていたが、実際には、地元スーパーではパンの発酵に使うイースト菌が売り切れになったくらいで、結局、大規模な買い占めは起こらなかった。これには、デンマークの人びとは政治や他人を信頼しているのだな、と感動させられた。また、ロックダウン中、地元のスーパーでは、客と客の間にも店員と客の間にも、普段以上の心遣いと連帯感があるように感じられた。

スーパーのレジ前には2メートル間隔でテープが貼られている

スーパーのレジ前には2メートル間隔でテープが貼られている

スーパーの入口に置いてある使い捨ての手袋

スーパーの入口に置いてある使い捨ての手袋

ロックダウンのおかげで、デンマークは感染爆発を起こすことなく、3月末から4月頭にピークアウトした。現在も順調に感染者数は減少し、終息に向かっている。フレデリクセン首相の支持率はロックダウン以前に比べて飛躍的に伸び、約40%から約80%にまでアップした。初期段階でのロックダウン、企業や個人への補償のほか、真摯な態度と明確なメッセージが支持率につながったのだ。念を押すが、42歳の女性首相である。なんと頼もしいのだろう。

現在、デンマークは段階的にロックダウンを解除中だ。4月中旬に保育園・幼稚園・小学校(5年生まで)、医療機関・歯医者の通常診療や美容院などが再開し、5月中旬にはショッピングセンター・ショップ・カフェ・レストランも再開した。6月にはミュージアム・映画館・水族館・動物園などの文化施設、語学学校などの教育機関が再開し、8月以降にはすべての教育機関・フィットネス・アミューズメントパーク・ナイトクラブなども再開する予定だ。

日常生活はバタバタである。子どもが家にいると在宅ワークはかなり厳しい。ロックダウン中は夫婦が交代で仕事と育児を担っていた家庭も多かったようだ。保育施設・学校が一部再開して楽にはなったが、まだ日常に戻ったわけではない。各施設・学校・職場ごとにさまざまな条件つきの再開で、なかなか落ち着かない日々である。

それでも、コペンハーゲン郊外にある地元ロスキレを散歩すると、ゆったりとした空気が流れ、心なしか人びとは嬉しそうな表情を浮かべている。見知らぬ人でも目が合えば軽く挨拶することも多い。新型コロナによるダメージは大きいが、危機を通じて連帯感が育まれたことも、たしかな事実である。

ありがたいことに、この数か月間、天気には恵まれていた。明るい春の陽光と青空にどれだけ救われたことだろう。この危機をデンマークで迎えることになったのは、私にとってはラッキーだったのかもしれない。このまま第2波が到来することもなく、無事に終息してほしいと心から願っている。


針貝有佳(はりかい・ゆか):デンマーク語の翻訳者、ライター。デンマーク・ロスキレ在住。

コロナ終息に向けて:各国レポート(15)ポーランド

poland

回復へ向かいはじめたポーランドより

岩澤葵

私は2年前から、ポーランド西部の地方都市にあるヴロツワフ音楽院に留学しています。3月上旬に一時帰国しましたが、すぐにポーランドに戻りました。すでに「自粛ムード」に包まれていた日本と比べると、そのころのポーランドの街はいつもと変わらず、のんびりと穏やかな雰囲気だったように思います。

しかし一週間後、ポーランドの状況は一気に変わりました。コロナ感染拡大にともない、私の学校では、校内中に消毒液が設置され、コンサートは軒並み中止。オーケストラの演習など、大人数の授業は休講になりました。「学校は閉鎖になると思うよ。きっとすぐに」そう言ったクラスメイトの言葉どおり、すぐに学校閉鎖が発表されました。それでようやく、ポーランドも他人事ではないんだな、と実感しました。

3月13日、モラヴィエツキ首相が記者会見を開いて「感染脅威事態」を宣言し、国境閉鎖と自宅隔離措置が感染拡大予防対策として開始されました。15日の午前0時からEU加盟国間の国境審査が再開し、外国人の入国は原則禁止。鉄道や飛行機の国際線はすべて停止され、陸路はドイツとの国境のみ、それも数か所の通行にかぎられました。政府の発表から国境封鎖まで実質2日もありませんでした。よって、自国に帰るための航空チケットを買い求めようと、多くの外国人が殺到しました。キャンセルになった便も多く、長距離バスなどで隣国へ出てから航空便を利用した人もたくさんいたそうです。

首相会見の翌日から自宅隔離措置が開始され、ポーランドの人びとの「自粛生活」がはじまりました。図書館、劇場、スポーツジムなどの公共施設はすべて閉まり、50人以上での集会、屋外での運動も禁止です。スーパーや薬局などの買い物は許可されたので、最低限の生活を続けることは難しくありませんでしたが、街からは人が消えました。私のルームメイトは実家に帰ってしまったので、私は部屋に一人残され、孤独との共同生活が静かに過ぎていくばかりでした。

そんななか、世界各地に取り残されたポーランド人を自宅に送り届ける”LOT DO DOMU(直訳:家への飛行機)”、通称「お家へ帰ろう便」もはじまりました。LOTポーランド航空と政府が協力し、自国民がポーランドへ帰れるように特別便を運行するという取り組みです。国境閉鎖から22日間で、71か所の空港へ388便もの特別便が飛び、5,500人以上のポーランド人が帰国しました。また、2,000人以上の外国人を現地に向かう便に乗せ、自国へと送り届けました。4月2日には日本へ向かう飛行機が飛び、ポーランドに残っていた日本人の帰国も実現しました。ポーランド人はもちろんのこと、国際線が運航停止しているポーランドからの出国も困難な状況のなか、多くの帰国希望者がこの「お家へ帰ろう便」で家族のもとへ戻ることができたのです。

政府は新型コロナウイルスの感染脅威事態における規制を、4つの段階を踏んで解除していく方針を決め、5月18日にはステップ3まで進みました。公共の場でのマスクの着用や、店内での手袋の着用義務は続いていますが、外出は許可され、ショッピングセンターやレストランなども再開しています。川辺や広場のベンチでくつろいだり、サイクリングやスポーツを楽しんだりする人びとのすがたが街に増えて、いつものポーランドらしい、穏やかで活気のある空気がやっと戻ってきました。

しかし、感染者数が減っているわけではありません。5月22日現在で、感染者数は合計20,143人。4月以降は一日に平均300人ほどの感染者が確認されています。ただ、感染者数が多いのは、検査数が多いということでもあります。感染が確認された患者と接触した人は、「接触濃度」に関わらず検査されます。そのなかには症状のない人もいます。

まだまだ予断を許さない状況ではありますが、ポーランドは少しずつ日常を取り戻しつつあると言えるでしょう。異国での私の自粛生活はもう少し続きそうですが、私と同じく帰国を見送った友人と励まし合い、希望を持って、毎日を過ごしています。日本にいる家族や友人にもたくさんのパワーをもらって、自分も日々まわりの人に支えられていることを実感しました。

いつか終わりはやってきます。声をかけあい、笑顔でこの状況を乗り越えましょう。


岩澤葵(いわさわ・あおい):クラリネット奏者。ポーランド・ヴロツワフ在住。ヴロツワフ音楽院修士課程在学中。

コロナ終息に向けて:各国レポート(14)アメリカ・ハワイ

united states of america

パンデミックは人を恋しくさせる

シーモア・ダニエル

初めまして、ハワイ在住のダニエルといいます。

私が勤めているトリプラー陸軍病院は現在、ハワイ全体のロックダウンにともない、院内でのソーシャル・ディスタンスを保つため、必要最低限の職員しか出勤させていない状態です。私は臨床カウンセラーとして働いているのですが、3月早々にリモートワークとなりました。

「いくらパンデミックといっても、あの癒しと常夏のハワイがロックダウンなんて想像できない」と思う人は多いのではないでしょうか。私も日々、家族以外の人間と一切会わずにトロピカルな熱帯雨林に囲まれた生活を送りながら、「これでいいのかな~」と思うことがよくあります。その反面、どこかモヤモヤする気持ちがついてまわり、やり場のなさを感じるのが正直なところです。そのモヤモヤ感はちょっとした倦怠感にも似ています。

backyard

コロナウイルス感染拡大の影響で、ハワイの34%の労働人口が失業し、1日3食すらまともに食べられない家族が急増する苛酷な状態のなかで、テレワークをしながら「公務員」として安定した給料をもらいつづけている身分の私が抱えるモヤモヤ感なんて、「贅沢な悩み」と言われてもしかたないかもしれません。仕事の打ち合わせもクライアントとのカウンセリングもすべてZoomで行われ、買い物も食品宅配サービスに頼み、何一つ不自由のない生活を送っているはずなのに、こんなにメリハリがないのはなぜなのでしょう?

そのうえ、「コロナ貯金」も着々と進んでいます。出費をともなう外出がいっさいなくなり、子どもの習い事も消えたからです。先日、車のガソリンを入れたときには、なんと2カ月ぶりでした。

運動すればいいって? はい、しています。毎日のジョギングとHIIT(オンライン上でできるトレーニング)は欠かさずやっています。家族で散歩やハイキングに行くこともあります。ついこのあいだ、2カ月ぶりに家族でビーチに行き、子どもたちは大はしゃぎでした。

じゃあ、いったい何が不満なのかというと「ズバリこれ」というものもないのです。

ただ、隣人のジェレミーを見ていると、モヤモヤの原因がわかってくるような気がします。彼は独身で、ロックダウンになる前は「野菜のピーラー」をフリーマーケットで売っていたミュージシャンでした。そう、まさに「自由人」。もちろん彼は、州政府が出している外出禁止令なんてまったく気にしません。違反者の摘発に目を光らせるハワイ警察を尻目に出かけたかと思えば、ミュージシャン仲間と夜な夜などんちゃん騒ぎです。

あまりのうるささに、何回通報してやろうかと思ったことか……。平気でバーベキューにも誘ってきます(笑)。それでもなぜか私は、100%白い目で彼を見ることができないのです。どんちゃん騒ぎにはもちろん驚かされて迷惑ですが、仲間との交流はわかる気がするからです。

ロックダウンによって何が一番変わったかというと、それは「普段」がなくなったことです。

ロックダウン以前の私の「普段」はというと、職場に行き、同僚と打ち合わせをし、クライアントのカウンセリングを行い、仕事が終わり子どもたちを学校に迎えに行って、いっしょにブラジリアン柔術を習い、道場生と交流し、週末は友達たちとバーベキューをし、ビーチに行く。

そんな「普段」の中心となっていたのは、「人」だったんですよね。

いくらZoomで頻繁に連絡を取り合っていても、どこかで限界を感じてしまうのです。Zoomでは、どうしてもスクリーン上の写真とお話をしているような違和感があり、生身の人間が発する「気」が欠けている気がして、どこか物足りなさを感じてしまう。そして、その「物足りなさ」の蓄積が、モヤモヤ感を作りだしているのだと思います。

早い話が、人が恋しいのでしょうね。自分には家族が身近にいるけど、ジェレミーみたいな独り者だったら同じ行動をとっているかもしれませんね。

でも、どんよりとしたニュースだけではありませんよ!

Hana

2週間前、生まれて間もない子猫ちゃん(まだ胎盤とへその緒が付いていました)を保護したことで、家族に新たなメンバーが加わりました! 最初は車に轢かれたネズミだと思って通り過ぎたのですが……。こういうのを「縁」というのでしょうね。

では、日本のみなさんお気をつけて!


シーモア・ダニエル:臨床カウンセラー。2019年よりハワイ在住。

コロナ終息に向けて:各国レポート(13)イタリア

italia

子どもたちとロックダウン

飯田亮介

2ヶ月あまりの長きにわたり続いたイタリアの全国ロックダウンが5月8日にようやく緩和され、不要不急以外の外出も許されるようになった。

今まで何が辛かったって、運動不足がいちばん辛かった。僕の場合、運動不足は即、便秘(失礼!)につながり、便秘はイライラを呼び、僕のイライラは一家の不幸となるからだ。これはなかなかに真剣な問題なのである。

だから今、何が一番うれしいかと言えば、また大手を振ってジョギングに行けるようになったことだ。

次にうれしいのは、散歩にも、営業再開したバールにも、レストランにもまた子どもたちを連れていけるようになったことだ。何せ完全なロックダウン中は、特別な理由がなければ、子どもたちを家の敷地の外に出すことさえできなかったのだから。

わが家の9歳の長女と5歳の次女は、狭い家の中でもふたりで楽しく遊んで過ごせるほうだ。その点、ひとりっ子でないだけでも幸いだった。でも娘たちが何よりも恵まれていたのは、大騒ぎして跳ね回ることもできる、ちょっとした庭と広いテラスがあったことだと思う。ふたりが庭で遊ぶ姿を見るたびに、僕は罪悪感めいた気持ちとともに、大都会の集合住宅で暮らす子どもたちは(そしてその親たちは)どうしているのだろうか、と心配になった。

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僕が暮らしているのは中部イタリアの田舎の小さな村(人口約1,000人)で、みんな顔見知りみたいなものだから、実はロックダウン中でも、近所の子どもたちが自分の家の近くを散歩しているくらいならば、目くじらを立てて大人が叱り飛ばす、という場面はなかった。でも、大きな町の子どもたちはいったいどうしていたのだろう。今回の危機を通じて、そのあたりがメディアで語られることがあまりなかったように思う。

テレビはほとんど見ないので、主にこちらのラジオ・新聞・ネットメディアを介しての印象だが、とにかく「大人たちが」この危機をどう乗り切るか、どう苦労しているか、という話ばかりで、子どもたちはどう過ごせばいいのか、今どうしているのか、という話を聞いた記憶があまりない。せいぜい、超長期におよぶ学級封鎖(今のところ9月半ばまでの予定)のあいだ、いきなりパソコンを使ったリモート授業を行うことになった先生たちの苦労話のついでに、家庭環境の格差から子どもたちも苦労しているといった話くらいだろうか。

もちろん「まずは大人たちが国を、経済をどうにか回していかなければ、子どもだって食べていけない。だから、とりあえず大人が先」という理屈もわからないではない。でもその大人のなかには、かなりの割合で子どものいる親がいるはずだ。だから、親たちはみんなどうしていたんだろう、と僕は思ってしまう。表に遊びに行けない理由を、友だちと一緒に遊べない理由を、ソーシャルディスタンスを保つべき理由を、どう子どもたちに説明すべきなのか。また、大人は仕事があるからと言って、子どもにはタブレットPCを与えておくだけで本当にいいのか。普段にまして多い宿題の手伝いを誰がいつすればいいのか。こんな状態がいつまで続くと子どもたちには伝えればいいのか……。そういった子どもの(そして親の)ための論点がメディアで語られることがあまりに少なかった気がするのだ。

ロックダウン中、あれこれ規制があるなかで、子どもたちの日常生活について明確に触れた規定は、学級封鎖のそれを除けば、「公園・遊具の利用禁止」くらいしかなかった。あとは集合の禁止、外出の禁止といった、やはり大人視点のルールが子ども「にも」適用されるという、「ついで」感が常にあった。

今日も僕はジョギングに出かけ、村の外れで子どもたちが遊んでいるところにさしかかった。本当はまだ他の家の子たちと大勢で集まって遊ぶことは禁じられているはずだ。隠れて遊んでいたのだろう。なかにはマスクもせずに友だちとじゃれあっている子もいた。その子は僕に気づくと、バツが悪そうな顔をした。でも、なんだかこちらのほうがいたたまれない気持ちになった。先月、僕が訳出した『コロナの時代の僕ら』で、作者パオロ・ジョルダーノも言っていたが、こんな状況を生んだ責任のかなりの部分は、どうやら大人である自分たちにあるみたいだから。


飯田亮介(いいだ・りょうすけ):イタリア語翻訳者。イタリア中部・モントットーネ村在住。https://note.com/giapponjin

コロナ終息に向けて:各国レポート(12)スロヴェニア

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流行終息に向かうも、新たなる火種

木村高子

5月14日、スロヴェニアでは、コロナウィルスの流行終息宣言が出されました。ヨーロッパの国のなかでは最も早く、流行宣言が出されてからじつに2か月後のことです。

中欧の小国であるスロヴェニアでは、今年2月以来、隣国イタリアでの感染拡大に警戒しつつ状況を見守っている状態でしたが、3月4日に国内で初の感染者が確認されると、12日に流行宣言が出されてロックダウンが始まりました。教育機関は無期限休校、バスや電車などの公共交通機関は運行休止、そして食料品店を除くすべての商用施設は基本的に閉鎖。国民は自宅待機を要請され、誰もがマスクを着用するようになりました(これまでスロヴェニアにはマスクをする習慣がありませんでした)。外国からの入国制限措置が導入され、航空交通も停止し、スロヴェニアは陸の孤島となったのです。3月中旬からは食料品店の営業時間が短縮されました。高リスクグループとされた高齢者や妊婦は、午前8時から10時のあいだと、閉店前の1時間しか買い物できないようになりました。

3月30日からは、居住する自治体からの移動が原則禁止になりました。アルプス山脈の南側に位置し、気候のよいスロヴェニアは、近年、外国人観光客も増えています。首都リュブリャナにある川沿いのレストランやカフェはいつも満席でしたが、3月から矢継ぎ早に導入されてきたコロナ対策の措置の結果、まるでゴーストタウンのように閑散としはじめました。ただし、公園などの散歩やジョギングは許可されていたので、自粛期間中も多くの人が公園や川沿い、近郊の丘などに出かけていたようです。自然好きのスロヴェニア人らしいですね。

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3月のある週末、いつもは賑やかな土曜日の青空市場の閑散とした様子

カトリック国であるスロヴェニアでは、毎年イースターの日になると、多くの人が教会のミサにハムやパンなどを持参して祝福を受け、その後は家族で集まってイースター・ブレックファストを楽しみます。しかし今年は、車に乗った司祭が信者の家をまわり、用意した食べ物とともに庭先で待つ信者に、車のなかから祝福の手振りをする様子がテレビで放送されました。一部の国のように警官が街中を巡回して職務質問をしたり、外出者を取り締まったりするようなことはなく、国民はおおむね政府の指示に従って、おとなしく家に籠もっていたようです。

こうした政策が功を奏したようで、4月末以降、1日の感染者数は一桁台におさまり、現在では感染者数ゼロの日もあります。5月21日現在、スロヴェニアの感染者の総数は1,468名、死者数は106名です(なお、スロヴェニアの総人口は約200万人)。高齢者施設での死者の多さが目立つものの、さいわい、医療崩壊は起きませんでした。4月15日には、入店の際の手袋着用義務が解除(マスク着用は継続)され、屋外スポーツ解禁、自治体間の移動制限解除、鉄道再開と、警戒措置が少しずつ緩和されていきました。5月4日からは、教会のミサやレストランの屋外テラスでの営業再開が許可され、18日には、一部の例外を除き、すべての店舗の営業再開が認められました。ようやく、町に少し活気が戻ってきた気がします。

教育機関に関しては、小学校の低学年と最終学年、及び高校の最終学年のみ、学校での授業が再開され、それ以外はオンライン学習が当分継続されるようです。知り合いの高校生によると、学年末試験もオンラインで実施されるとのこと。ズームのビデオと音声をオンにした状態で答案を書くのだと教えてくれました。

ウィルスの封じ込めにほぼ成功したことで、政府の支持率が上昇するかと思いきや、今やこれが新たな火種となっています。じつはスロヴェニアでは、ロックダウン決定直後の3月13日に政権が交代したのです。新たに政権を握ったのは、今回が第三次内閣となる右派のヤネス・ヤンシャ首相(一期目は2004-08年、二期目は2012-13年)。しかしヤンシャ首相には、2014年にフィンランドの軍事企業からの収賄疑惑で起訴され、服役したという過去があるのです(その後判決取り消し、時効に)。ハンガリーのオルバン首相とも親しく、毀誉褒貶の激しいことでも知られています。

そんななか、4月24日に、マスク購入に関して複数の閣僚が身内に利益供与したというスキャンダルが発覚。5月1日のメーデーには反政府デモが開催されました。といっても、集会禁止令の発令中ですから、デモ参加者は自転車に乗り、ベルを鳴らしながら官庁街を走り回りました。汚職に対する抗議であるとともに、危機に乗じて政府が国民の私権を制限しようとしていることに対する抗議です。それ以降、毎週金曜日の夕方には同様のデモが国内の複数の都市で開かれ、毎回数千人が参加しています。これに対して首相は、メディアや司法に対しても批判の矛先を向けています。

ヨーロッパではこれからバカンスシーズンが始まりますが、経済再建にはやる政府の政策によって外国人観光客が戻ってくるのか、そして、それによるコロナ感染拡大の危険はないのかという疑問も残ります。そのこともまた、観光を経済の重要な柱の一つとするこの国のジレンマであり、この先スロヴェニアの社会がどうなっていくのかを注視していかなくては、と思っています。


木村高子(きむら・たかこ):英語・フランス語・スロヴェニア語翻訳者。スロヴェニア・リュブリャナ在住。

コロナ終息に向けて:各国レポート(11)オーストラリア

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早めの対策で危機を乗り切ったオーストラリア

徐廷美

オーストラリアでは、3月下旬に感染者数のピークを迎えた。しかしその後、4月10日頃には一日の新規感染者数が100人を割り、現在では20人を下回っている。感染者の総数は現在(5月20日)までに7,079名で、死亡者数は100名。死亡者の多くが70歳以上の高齢者だが、日本のように高齢者施設でクラスターが発生した例は数件だった。

国内での爆発的な感染を防止できたのは、感染対策が早期に実施されたおかげだろう。国内感染者の6割以上が海外で感染しており、その27%は早い段階で感染源が特定されていたため、オーストラリア政府は旅行者の入国を原則禁止し、そのほかの入国者については14日間の強制隔離を義務づけた。結果的に、爆発的な感染を防止でき、現在までの総検査数は1,111,567件で、陽性率は0.6%となっている。検査希望者が検査を受けられないという話はいまのところ聞いたことがない。

3月下旬からは、幼稚園から大学までのすべての学校が閉鎖され、オンライン授業に移行している。また、多くの職場ではリモートワークが行われ、教員も自宅から授業を配信するなどしている。食料品等の買い物、通院、やむを得ない通勤や通学を除く不要不急の外出は認められておらず、家族以外で3名以上が集まることも禁止された。悪質な違反を犯した場合には、逮捕されることもある。図書館、美術館などの公共施設、レストラン、バー、フードコート、ジム、ビーチ、映画館などの娯楽施設はすべて閉鎖。ただし、スーパーなどの食料品店、薬局、雑貨店は営業しており、飲食店は持ち帰りのみ営業が許されている。

3月以降、感染者数の増加にともない、一部の人の買い占めによってトイレットペーパーが店舗から姿を消した。さらに米、小麦粉、パスタ、缶詰類といった保存がきく商品も品薄になった。そうした事態を解消するため、大手スーパーでは、高齢者が品薄の商品も手に入れられるように、通常よりも早い時間に店を開けるなどの工夫も行われている。スーパーの入り口には手指消毒剤が置かれ、1.5mのソーシャルディスタンスが保たれる程度の入店制限も実施されている。

政府はマスク着用を推奨しておらず、病院でさえ、マスクを着用するのは感染症患者に対応するときのみである。町中では、特にアジア系と思われる人はマスクを着用していることが多いが、実際にマスクをつけている人は全体の2~3割といったところ。マスクの品薄状態はいまもつづいているが、雑貨店などで通常より高い値段で売られていることもある。現在、オーストラリアの医療機関では、緊急時以外の外科手術が原則禁止されている。マスクやガウンといった感染対策に必要な物品の確保に力を入れたために医療機関でマスクやアルコール消毒剤が足りなくなったという話は出ていない。

政府は、失業者を始めとして、収入が減った個人や家庭に向けて補償を行っている。また、事業者への補償や年金の早期還付等のサービス、隔離政策が原因となって起こる家庭内暴力を防止したり、メンタルヘルス問題を解決させたりするための予算増も行われた。モリソン首相と各州の首長はほぼ毎日オンラインの記者会見を行っているので、国民はコロナ感染症に関する最新情報を知ることができる。

とはいえ、新型コロナウイルスによる経済的影響は大きい。政府はつい先日、感染者数の減少を受け、段階的に隔離政策を緩和して経済の再活性化に向けて始動すると発表した。5月11日からは、小学校、中学校、高校で人数を割り振って週1回の通学授業が開始され、25日からは全面的に通常登校となる。隔離政策は3段階にわたって緩和していく方針だという。第一段階では、他の家庭への訪問(最大5名まで)、職場や公共施設における集会(最大10名まで)が許可されるほか、レストランやカフェが営業開始、図書館やコミュニティセンターも再開される。これが、5月15日より開始されている。第二段階ではジムや映画館などの再開が許可される。第三段階では、100名までの集会が許され、バーやサウナを含むあらゆる娯楽施設が営業を再開するという。ただし、1.5mのソーシャルディスタンスの確保と、アルコール消毒や手洗いなどの衛生管理は引きつづき推奨される。

こうした動きを通して、オーストラリアは爆発的感染と死亡者数の増加を防いできた。さらに隔離政策への国民の適応が非常にスムーズだったことを考えると、オーストラリアのコロナ対策はおおむね成功しているといえるのではないだろうか。


徐廷美(そ・じょんみ):オーストラリア・シドニー生活6年目。日豪両国の看護師資格をもち、現在は大学院で看護学を専攻している。

コロナ終息に向けて:各国レポート(10)ニュージーランド

newzealand

コロナを封じ込めたニュージーランド、次なるフェーズへ

目時能理子

私の住むニュージーランドでは、新型コロナウィルス感染の波が到達した早い段階で、厳格なロックダウン政策が打ち出されました。その成果が出て、最近の新規感染者は連日ゼロから多くて数名。今週からは封鎖がほぼ解除され、経済の立て直しに焦点が移っています。

「ウイルスの封じ込め」という意味では、有数の成功国となったニュージーランド。ここでは一連の流れから、実際のロックダウン下の生活はどうだったかを振り返ってみたいと思います。

3月26日、ニュージーランドは警戒レベル4(最も厳しいレベル)となり、ロックダウンに入りました。「バブル」と呼ばれる一つ屋根の下に住む人たちごとに自主隔離が求められ(バブルは基本的には家族単位ですが、ニュージーランドにはシェアハウスをしている人も多いので、その場合はシェアメイト同士がバブルを構成)、学校は閉鎖となり、子どもたちはオンライン授業などで自宅学習。大人は医療関係や食料品販売など「必須業務」でない限り、自宅勤務となりました。

店舗はスーパーマーケットと薬局以外ほぼ閉店。市民が外出できるのは、食料品や医薬品の買い出しと、バブル単位での近所の散歩だけに限られました。たとえ親子であっても、離れて暮らしていれば会うことができなくなりました。

ロックダウンに入る数日前、ニュージーランドの女性首相ジャシンダ・アーダーン の発表を聞いたときは、これからどうなるのだろうと不安がよぎりました。ですが、過ぎてみれば特に混乱もなく、市民のあいだにも比較的リラックスした雰囲気が漂っていたように思います。

その要因としては、都市封鎖と給与補償がセットになっていたことがまず挙げられるでしょう。自宅で仕事ができず、働けない人々(飲食業や小売業など)には、常勤者であれば週に585.80NZドル(約38,000円)、パートタイム勤務であれば350NZドル(約23,000円)が政府から支払われることになりました。「お金の心配はしなくていいから、家にいて下さい」というわけです。ニュージーランド警察は、「史上初、テレビの前に寝そべって何もしないだけで人類を救える」というユーモラスなキャンペーンを打ちました。

次に、政府の一貫した明確な方針の説明も人々に安心感を与えていたように思います。毎日13時から開かれるアーダーン首相とブルームフィールド保健省長官の記者会見では、国内で起こっていることと今後の見通しが明快に語られ、私を含め自宅にいるしかない市民にとっては会見を見ることが一種の楽しみでもありました。

日常生活では、道路を行き交う車が格段に減り(連日、元旦の朝のような静けさ!)、散歩をする人の数が確実に増えました。道で出会ったら、2mのソーシャルディスタンスを取りながら、「Hi」とあいさつを交わし、すれ違います。スーパーに買い物に行くと、入場制限によって、店の外で2mの距離を保ちながら入店する順番を待ちました。品揃えは比較的充実していましたが、小麦粉、イースト、パスタなどの在庫がないことも多かったです。

感染経路が特定され、新規感染者数の抑制が進んだ4月28日からは警戒レベル3に移行、それまで一切できなかった食べ物の持ち帰りやドライブスルー、デリバリーが許可されました。初日にはファストフードのドライブスルーに車が長蛇の列をつくり、新聞の見出しを飾りました(ニュージーランド人はファストフード好きが多いように思います)。

5月14日にはいよいよ警戒レベル2となり、会社や店舗、学校の再開が決まりました。数々の制限はありますが、外食や国内旅行も解禁され、ウイルス排除から経済立て直しへの新たなフェーズに入ったといえます。今はウイルスをコントロールしたうえで経済などを再開していく出口戦略の段階にいます。

ニュージーランドの一大産業である観光業などが大きな打撃を受けていることや、世界的に見れば終息への道のりは不透明なことを考えると、一筋縄ではいかないことも予想されますが、人口500万に満たない小国ならではのチームプレイで、なんとかこの難局を切り抜けたいです。

現在、日本-ニュージーランド間の飛行機は飛んでいません。早く運航を再開し、安心して行き来できる日が再び来ますように。


目時能理子(めとき・のりこ):イタリア語・英語翻訳家、英語・イタリア語コーチ、ニュージーランド・オークランド在住。

コロナ終息に向けて:各国レポート(9)イギリス

great britain

まだ出口は遠いイギリスより

安原実津

イギリスでは、3月下旬からロックダウンが続いています。ヨーロッパの他の国とくらべると、遅めのスタートでした。イギリス国内で感染者が増加しはじめたのが遅かったことも一因ではあると思いますが、政府は当初、国民の大多数を感染させて「集団免疫」を獲得することで流行を終わらせる方針をとっていたからです(厳密に言えば、政府がそう明言したわけではないのですが)。実際にジョンソン首相は、コロナ対策に関する演説で、集団免疫の成立を目指しているとしか思えない発言をしています。また、政府の首席科学顧問が集団免疫の有効性についてインタビューで語ったことからも、イギリス政府の基本方針は集団免疫戦略だったというのが大方の見方になっています(ただし保健相はこれを否定しています)。

ところがその後、社会的な封鎖政策をとらなかった場合、集団免疫ができるまでに最大で25万人の死者が出るとの研究報告書が発表され、政府は方針を変えました。コロナ対策の首相演説がおこなわれたのは3月12日、研究報告書が出されたのは同月16日。イギリスでのロックダウンが始まったのは同月23日だったので、短期間でイギリスのコロナに対する政策が大転換されたことになります。

ロックダウンが始まって、生活必需品を売る店以外はほぼすべて閉鎖されました。ただ、別世帯の人と会ってはいけないなどの決まりはありましたが、はじめから一日一度の運動目的の外出は許可されていて、行動範囲にも制限はありませんでした。規則をやぶった場合には罰金が課せられますが、街はものものしい雰囲気ではなく、交通量が減った道路でサイクリングを楽しむ家族連れなどをよく見かけるほどです。

イギリスでは、NHS(国営の医療制度)のスタッフを応援するために、子どもたちが自宅で描いた虹の絵をSNSにアップする運動が広まっています。また、幹線道路沿いにある巨大な広告板のほとんどが、「ありがとうNHS」といったものや、NHSへの感謝のツイートを呼びかけるものに変わっていたりして、国民一丸となってこの危機を乗り切ろうというポジティブさも感じられます。

とはいえ、ロックダウンが長引くにつれて、行動や娯楽が制限されることへの人びとのストレスはたまってきています。5月に入ってから、ヨーロッパ諸国では徐々にロックダウン解除の動きが出はじめたので、イギリスでも変化があるのではと期待していたのですが、まだまだ先は長そうです……。

1対1でなら屋外で人と会えるようになったり、自宅で仕事ができない職種の人が仕事に復帰できるようになったりと、緩和の動きはいくらか見られたものの、学校が一部再開されるのは早くても6月以降、美容院やレストランなどの営業が許可されるのは早くても7月以降だそうです(イングランドの場合)。違反者に課される罰金も増額され、ロックダウンとともに始まった休業補償制度も10月末まで延長されました。もとの日常が戻ってくるまでにまだまだ時間がかかるのかと思うと、気が遠くなりそうです。でも、イギリスの死亡者数がイタリアを超える3万4,000人を突破していることを思えば、仕方がないのかもしれません。

ロックダウンが始まってから自宅で仕事をするようになった夫は、ほぼ毎日、カヤックでテムズ川に繰り出しています。川の上ならソーシャル・ディスタンスの心配をする必要もないですし、運動にもなって一石二鳥なのだそうです。運動が不得手な私は、テムズ川にカヤックを漕ぎに行ったことはないのですが、今後しばらくこういう生活が続くのであれば、気分転換にテムズ川に繰り出してみようかなと思っています。


安原実津(やすはら・みつ):ドイツ語・英語翻訳者。イギリス・ロンドン在住。

コロナ終息に向けて:各国レポート(8)コロンビア

colombia

今後もまだ不確実な中南米

ゴンサロ・ロブレド

私はコロンビア人のジャーナリストで、1981年から日本で暮らし、主にスペイン語圏諸国のメディア向けに、記事や映像で日本のニュース・文化を紹介しています。本記事では、南米の新型コロナウイルス禍に関するレポートをお届けします。自分の体験ではありませんが、中南米、特にコロンビアがこの事態をどう受け止めているか、ニュースや知人から入手した情報を簡単にお伝えしたいと思います。

中南米全域を見渡してみると、コロナのパンデミックに対し、2通りの反応がありました。大半の国はパンデミックを恐れて何らかの対策を取りましたが、ブラジルやメキシコやニカラグアのように、ウイルスの脅威を軽視して向こう見ずな対応をした国もあります。

ブラジルのボルソナーロ大統領は「新型コロナウイルスはちょっとした風邪だ」と言い放ち、メキシコのオブラドール大統領は、外出自粛宣言以降も自分の支持者たちにハグやキスをしてまわりました。5月の2週目時点で、ブラジルでは1万人以上、メキシコでも3,000人以上の死者が出ています。この2か国が中南米のなかでも際立って高い死者数を記録しているのは偶然ではないでしょう。今年の3~4月期の世界の死者数を前年と比較したニューヨークタイムズ紙の調査では、ブラジルやメキシコでの死者数は、実際はもっと多く、これからも増加するだろうと指摘されています。

さらに、その調査によると、エクアドルでは死者数が2か月で84%増加しています。インフラや医療システムが整備されていない同国の貧しい地域では、遺体の収容が間に合わず、人々はコロナが原因で死亡した家族の遺体にビニールをかぶせて、家の前の道路に放置せざるを得ない状態にあるといいます。急遽つくられた共同墓地に毎日トラックで運び込まれる棺も、埋葬する人手が足りないので、感染を防ぐためにラップが巻かれて安置されているそうです。

一方コロンビアでは、国連が世界中に呼びかけたコロナ禍での休戦要請に応じ、ゲリラ組織ELNが武器を置きました。ELNは、2016年に政府と別のゲリラ組織FARCが52年ぶりに和平合意に至った際も、停戦協定に加わることなく活動を続けてきた組織です。

また、ウイルスの危機に対する保守派政権のイバン・ドゥケ大統領と、首都ボゴタの市長を務める中道左派のクラウディア・ロペスの対応の違いが際立っています。ロペス市長は、ボゴタ市初の女性市長であると同時に、初のレズビアンの市長でもあります。3月6日に最初の感染者が発表されると、市長は4日間の厳しい「外出禁止訓練」を実施しました。これは、大統領がようやく国内全土に外出禁止令を出す1週間ほど前のことです。

ロペス市長はまた、マスクの着用を義務づけ、違反した人には法定最低賃金に等しい金額(約2万6千円)の罰金を科しています。市長は当初、偶数日・奇数日に分けて性別による外出許可制を計画しました。トランスジェンダーの人は、どちらの性別の日に外出するかを自分で選べます。しかし、パンデミックの危機管理でただでさえ多忙な警察官に負担をかけてしまうということで、このこのルールは取りやめになりました。

ボゴタの家庭では、食事の習慣が大きく変わりました。家族が揃って食事をするようになり、自宅でアレパという伝統的なパンを焼く人が増えたそうです。アレパとはトウモロコシの粉でつくるパンですが、これまでは出来合いのものを買ってくる家庭がほとんどでした。コロナ禍がいつまで続くかわからないため、ボゴタの人たちはこれまで食べていたファストフードやスナックをやめて、長期保存が可能で栄養価が高いレンズ豆やインゲン豆といった豆類をたくさん買うようになったといいます。広大で肥沃な土地をもつコロンビアですが、米国との通商条約により、国内の農産物は安い米国産の食料に市場を奪われつつあります。野菜や豆が注目されることで、都会の人たちも、自国の農業の価値を改めて意識するようになったようです。

人口約5,000万人のコロンビアですが、感染者数は1万人、死者数500人という状況で、5月11日、ドゥケ大統領は段階的に商業の再開を認め、日常の生活に戻していくと発表しました。ロペス市長はそれに対し、「大統領の命令なら仕方がないが、その責任は大統領にとってもらう。私たちの責任は、注意を怠らないこと。これからは、一人ひとりがコロナウイルスに感染しているつもりで、厳しく注意深く行動しなければならない」と警鐘を鳴らしました。ロペス市長の支持率は89%にアップ。政治評論家たちは、市長と大統領の違いが「効果的な緊張感」を生み出しており、ひとりのリーダーによる間違った対策を回避でき、よりよい問題解決につながっていると評価しています。


ゴンサロ・ロブレド:コロンビア出身のジャーナリスト。スペイン語翻訳者。1981年より日本在住。スペインのエル・パイス紙に寄稿した記事:https://elpais.com/autor/gonzalo-robledo/